2000字の世界(39)

出会いは 人生の宝なり

文写真・ 福 永 隼 人(Fukunaga, Hayato)
教育学部教育学科3年

 

 雪も降り始め、西条に本格的な寒い冬がやってくると「こんな厳しい冬を迎えるのも、三回目だな」と友人に話した。ということは、大学に入学してから、はや三年が過ぎようとしているのだ。来年は卒業ということで、残された大学生活を、満喫したいと思っている。また、進路を決めなくてはならない重要なときでもある。


千葉から広島大学へ

 そういえば、高校三年の時にも進路問題があった。就職、大学進学、専門学校等の進み方があり、友人とそれについて話しあったこともあった。あのとき何故、大学進学を選んだのか、今になって考えてみると不思議に思ったりする。別に、小・中学校の頃から、大学に入るぞと決めていたわけでもなかった。ただ一九九六年の段階で、自分の進む道は、広島大学だと感じていたし、勝手に自己をそう暗示付けていたふしがある。
 大学に入り、周囲の友人と、何故この広島大学を選んだのかを話したことがある。多くの人が、教員志望、教育に興味があったからという理由で、広大教育学部を選んでいた。私の場合、千葉県の出身でもあり、「何故広大へ?」と聞く人がいた。当たり前の質問だと思う。私の場合は、恥ずかしながら、好きな女性がいたから、広大を選んだだけだった。しかも浪人までして。別に、その女性は広大の人ではない。広島市の人であるということなのだ。好きな女性を追っかけていたいという若さが、自分を広島という土地へと導いたのかと、解釈している。


出会いの偶然性

 出会いは、必然的なものだったのか、偶然であったのか、人それぞれ考え方は違うのだろうが、私は「偶然」と、捉える人間である。何故ならば、私がその高校に、入学しなければ、その女性とは出会わなかったからだ。その高校へ何故入学したのかと考えると、学力や地域等が絡んでくる。また、千葉県に引っ越さなかったならば、出会えなかった。そう考えていくと、「ああ、本当にあの人に出会えたのは、偶然だった」と私は感じる。しかし偶然が新しい偶然を誘い、その積み重ねが、今、自分を此処に至らしめているのだ。そして明日からも偶然の積み重ねで、人生が続いていくのだと思ったりする。そう考えると、来年、自分が何をしているのかは、来年にならなければわからない。極端に言えば、明日の出来事が、自分を大きく変化させるとも言えるからだ。ともかく、偶然と思っている、その女性との出会いに私は感謝している。その女性と出会えたことで、私はかけがえのない、大切なものをいろいろ手に入れられた。友人はその中でも一番の宝物であり、友人に限らず、いろいろな新しい出来事にも出会え、青春時代を素敵に過ごせた。ありきたりだが、「恋愛って素敵なものだな」と思う。そして悩んだりもする。うまく成就するのかとか、いろいろな状況を考慮したりする。友人と飲んだりもし、悩みの種を打ち明けたりして、人それぞれの考え方を聞く。その事により、全く自分とは異なる考え方に遭遇する。それこそが貴重な経験なのではなかろうか。別に恋愛が成就しなくても、それについて悩み考えたこと、友人のアドバイス等による、新しい価値観・ものの見方や捉え方との出会いは、これからの財産になる。故に、人との出会いはとても大切にしなければならないと思うのである。出会いは、自分の人生を大きく膨らます可能性を大いに秘めていて、幾重にも広がりをもっているのだ。


未来は切り開くもの

 しかし、何が起こるか分からない未来だからといって、何もせずに出会いは訪れない。出会いに限らず暗闇の未来を少しでも明るくしていくには自分から明かりを灯さなければならない。予測不可能の未来を切り開く最大の鍵は、自分の意志に即した行動如何にかかっている。少しでも素晴らしい明日の風を感じたいなら。


フェニックス駅伝後、友人たちと(筆者最前列)
 




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