第57回中国文化賞



 中国地方の文化・芸術,学術・産業の分野で優れた業績を上げ,地域文化の発展に寄与した人たちをたたえる「第57回中国文化賞(中国新聞社主催)」を本学から3名の方が受賞された。
 受賞者は,藤井博信総合科学部教授(水素の吸蔵材料の研究・開発),岸田裕之文学部教授(地方固有の視座での歴史学研究),全孝工学部教授(半導体研究)である。


中国文化賞を受賞して思うこと
文 藤 井 博 信(Fujii, Hironobu)
 総合科学部教授

 この度、二十世紀最後の年に栄誉ある中国文化賞を受賞することが出来ましたことは、皆様のご支援のお陰と深く感謝しております。振り返ってみますと、広島大学教養部時代から総合科学部まで三十有余年にわたって、研究教育に携わってまいりました。その間決して恵まれた環境とはいえない中での研究成果が認められたもので、感慨ひとしおです。物理というジャンルの中で、様様な人々に励まされ、総合科学部ならではといえる様様な分野の思考性を滋養にしつつ、二つの方向性をもって研究に取り組んできました。それらは、真理の探究としての物理学の中で未解決な強い相関をもつ電子物性の研究であり、今一つ社会に役立つ研究としては、二十一世紀クリーンエネルギーとして期待されている水素を輸送・変換するための水素吸蔵物質の研究及び情報関連機器の小型化に不可欠な希土類永久磁石材料の研究です。
 まず、授賞対象となりました水素吸蔵物質の研究成果について簡単に記述させていただきます。今から十年以上前になりますが、今日直面している地球温暖化という地球環境問題をいち早く察知し、クリーンエネルギーとしての水素を輸送・変換するための水素吸蔵物質の研究に着手しました。平成二年、マツダとの共同研究の中で既存の水素吸蔵合金をマグネシウム金属と複合化することで、水素吸蔵特性が著しく改善することを見出しました。この成果は、直ちに、マツダが開発したコンセプトカー「水素ロータリー自動車HR-X」に生かされ、平成三年の東京モーターショーに出品、世界的な注目を集めました。平成八年、我々の研究グループに折茂慎一氏を助手として迎え、ナノ構造化・複合化(ナノ・十億分の一メーター)をキーワードに水素吸蔵物質の新たな展開研究に着手してきました。最近、ナノ構造化した黒鉛が既存の水素吸蔵合金の三〜四倍に相当する多量の水素を吸蔵することやマグネシウムとパラジウム金属をナノ複合薄膜化することで、多量の水素を百度℃以下で吸放出させうることを発見し、世界的な注目を集めています。

パートナーとの出会い 

 顧みますと、今回の受賞は良き共同研究者に恵まれた結果であり、私一人の実力では決してありません。最初の出会いは、岡本哲彦先生でした。当時、教養部には装置らしいものはなく、何もかも手作りで装置を立ち上げ単結晶を作製し、希土類コバルト磁石を研究しました。この努力と執念は当時欧米の研究者を驚嘆させるものでした。その中で、物理的考え方の面白さを教示いただきました。その後、中性子散乱で著名な好村滋洋先生からは中性子散乱を通して動的に物を見る物理的センスを学びました。これは私の研究の幅を広げるものとなりました。昭和六十二年、不幸な事件で岡本先生を失いました。この時は、大黒柱を失い、底なし沼に突き落とされた、どうすることも出来ない悲痛な気持ちでした。その後冷静さを取り戻すとともに、総合科学部を立て直すには、研究を通して貢献するしかないと悟りました。昭和六十三年、高畠敏郎助教授(現先端物質科学研究科教授)を迎えると同時に、単結晶育成装置を立ち上げ、新しいタイプの強相関半金属の物性研究に着手しました。この研究はこれまで私たちが理解してきた理論では説明できない奇怪な現象を示しました。この研究を通して、氏より研究者としての 強 靭さとモラルを教わりました。平成八年には、折茂慎一氏が助手として赴任しました。現在、私の右腕となって水素吸蔵物質の研究を推進しています。彼から総合科学的思考力を学びました。これはこれまでのどの学者にもない総合科学部で育った新しいタイプの学者がもつセンスです。彼には、早く独立して独自な考えで研究できる立場に立たせたいと考えています。ノーベル賞を受賞した白川秀樹博士が言われているように、若くても真に独創的な研究は正当に評価され、正当に昇進しうるシステムが構築されるべきであると考えます。これが二十一世紀の広島大学の将来を左右するといっても過言ではないと思います。最後に、今回の受賞に際し、大学院生を含めこれまでの共同研究者の皆様に心より御礼申し上げます。
 プロフィール

☆一九六八年広島大学大学院博士課程修了(理学博士)
☆同年より広島大学教養部助手一九七四年より総合科学部助教授を経て一九八六年より総合科学部教授
☆低温センター長(併任)
☆専門:材料物性・物性物理学
☆著書:侵入型希土類鉄金属間化合物の磁性磁性体ハンドブック(エルゼビア出版)






   






地域の文化振興と大学
文 岸 田 裕 之(Kishida, Hiroshi)
 文学部教授


 中国文化賞を受賞した。光栄なことである。以前、本誌30期7号(一九九九年三月)所載の「開かれた学問(72)」欄に「戦国大名領国研究と大河ドラマ『毛利元就』」と題して寄稿した。この度の表彰理由は、それに記したことと関係するが、中国地域・瀬戸内海地域の大名領国の政治、経済、そして意識構造に及ぶ学術研究と、それに基づいた地域の歴史文化振興への貢献とされる。
 受賞によって責任も昂じた。この機会に日頃思っていることを述べてみたい。

地域の新しい仕組みを 
 ここ数十年間の社会構造の変化のなかで技術革新によって文明は巨大化し、また中心地論に基づく集権の強化がはかられた。それは、社会基層の地域の総合力を相対的に低下させ、また各周縁地域の「辺境」化を招き、安全な環境のもとでの生活を願う人々との矛盾をも激化させた。
 こうした身近な様々な問題を歴史の進歩とは何かという視点から検証し、どういう哲学でどう方向性を定め、どう調整し、解決に向けるかは、緊急のいわば先端研究である。
 いま農山漁村と都市は、相互に不足を補いつつ生き続けるために交流回路を増幅し、それを成熟させつつある。国策とは異っても、地域の特性を踏えた固有の発想と営みこそ重要である。

歴史学の役割
 歴史学は、人間や集団等がそれぞれの地域性や時代性の制約のなかでどういう課題を背負ってどういう方法で実現していったか、過去に 遡 って構造的に考究する分野である。地域の視座から歴史を自覚的に学べば、その固有の構造や機能、特質や精神的風土等は見極めやすいし、また地域の独自性や自立を支える意識も成熟していく。
 こうした性格を有する歴史学は、細分化する諸科学の総合化をはかる役割をこれまでもそれなりに果たしてきたが、これからは必ずしもそう簡単ではない。

大原孫三郎の哲学と実践
 大原孫三郎(一八八○〜一九四三)は、倉敷紡績社長として女工の労働・生活環境の改良を進め、また大地主として大原奨農会を創設して小作人の自作農化をはかった。孤児院等の社会事業、病院の設置による医療・衛生面の整備、そして倉敷日曜講演会、また天文台や美術館などの文化事業にも取り組んだ。
 とくに第一次世界大戦後の荒廃した世相を直視し、国家・社会の病気を科学的・根本的に研究し、その病根の救治策をも指し示すような機関として、大原社会問題研究所を創立したことは特筆される。本学初代学長の森戸辰男はここで育ったと言ってもよい。これは、本来ならば国家が国立の独立した研究機関として設置すべき性格のものである。
 推察するに、大原は、その優れた資質と鋭い感性でもって、労働者・小作人・地域民等にとって「もっとよい生活」とは何か、そのためには何が必要か、と総合的に構想し、その実現をはかったに違いない。大原は、これらの事業や施設の運営に巨額の私財を投入した。いま多くの観光客を引付ける文化性溢れる倉敷の街の中核部分は、大原が時代を超えて思惟した哲学的営みの所産である。

地域文化研究センター構想
 もはや特定の個人の構想と財力で地域創造やその成熟がはかれる時代ではない。しかし、大原の哲学と方法はなお新鮮である。
 広島大学には人間世界を多面的に考究する諸科学がある。その成果は、人間や集団等の将来像の構築に還元されるべきものである。
 とくに自らが日常生活を営んでいる地域の文化振興には、関係する研究者が、その研究固有の領域に基づきながらも、協同して総合的に活動していく必要がある。そのためには、地元の大学としては、そうした組織を創設し、その知的蓄積と人材を積極的に社会資源として活用する体制づくりが求められている。
 プロフィール

☆一九七○年広島大学大学院博士課程単位修得一九八一年文学博士
☆一九八○年広島大学文学部(国史学)助教授、一九九○年同教授





   






広島大学における半導体研究
文 廣 瀬  全 孝(Hirose, Masataka)
 工学部教授
ナノデバイス・システム研究センター長


一 IT革命と半導体技術開発 
  半導体技術は情報技術(IT)革命を発展させるエンジンであり、先進諸国において戦略的研究開発が政府主導で推進されている。各国の半導体企業もそれぞれの生き残りをかけて、全世界的に激しい競争を繰り広げている。
 日本の半導体産業は一九八六年、世界市場でアメリカを抑えてトップに立ったが、一九九三年に再びアメリカにトップの座を譲り、その後日本の世界市場シェアは大きく低下した。日本の産業界・学界の強い危機感を受けて、政府は日本の半導体技術開発力を抜本的に向上させるための国家プロジェクトを二○○一年四月からスタートすることになった。
 一九八六年広島大学には半導体研究のために「集積化システム研究センター」の設置が認められた。関係者の四年間の努力の 賜 であった。一九九六年にはナノデバイス・システム研究センターに拡充改組されて今日に至っている。大学における半導体分野の人材育成とシリコンテクノロジーに関する学術研究の重要性が文部省の方々にもご理解頂けた結果である。
 一九八六年当時アメリカやヨーロッパでは、産業界、政府が協力して、大学における半導体研究開発と産学連携研究を推進した。当時日本は半導体世界一ということもあって危機感に乏しく、大学の研究活力向上の為に組織的な取り組みが十分には行われなかった。ここ数年間、大学や国立研究機関における半導体集積化素子・回路・設計技術やシステム・アーキテクチャに関する研究教育の重要性が、改めて産業界・学界によって強調されるようになった。このような状況の中で、これまで私が広島大学で行ってきた半導体研究に対して、第五十七回中国文化賞をいただくことになった。広島大学における三十年近い研究の成果に対して評価をしていただいたことを大変光栄に思っている。また、この賞は私と共に研究の道を歩んで来た共同研究者及び日夜研究に励んでくれた大学院生諸君と共に与えられた賞と肝に銘じている。

二 トランジスタのゲート酸化膜研究
   今回の受賞にかかわる半導体集積化素子技術の研究に触れておきたい。集積化素子はMOSトランジスタと呼ばれ、その制御部に当たるゲート酸化膜(SiO2膜)の研究は私共の研究室の重要テーマの一つである。近い将来ゲート酸化膜は1.5〜1.0nm(ナノメータ)まで薄膜化される。これはSi-O分子層で七層〜五層に相当する文字通り原子スケールの世界である。ゲート電極とSi基板の間でトンネル電流が流れるようになり、また、SiとSiO2膜の界面で電子は三角形のポテンシャル井戸に閉じ込められるため量子効果によって容量成分が発生する。このため酸化膜が1nm近くまで薄くなると量子効果によりトランジスタ性能の向上が困難になる。
 このような極微細系におけるトランジスタ動作を制御するには、原子スケールで平坦なSi表面の実現、原子寸法で正確な酸化膜厚の制御と強電界下での耐圧確保、SiO2/Si界面の分子レベル構造解析や電子状態解析、SiO2中を流れるトンネル電流のモデル化などが必要である。
 についてはSiウエハの新しい洗浄技術、については酸化膜の原子層成長モデルの提案、についてはSiO2/Si系のエネルギバンドプロファイルの決定、についてはトンネル電流の解析モデルの開発など、それぞれ成果をあげることができた。
 ゲート絶縁膜はMOSトランジスタの発明以来四十年間変らなかった。1nm近くの薄いSiO2膜を使ったトランジスタを数億個集積化するとゲートトンネル電流による電力損失が無視できなくなるため、SiO2膜は近い将来これより誘電率が二倍〜七倍大きい新物質に取って代わられようとしている。
 その究極の新材料を見つけ、これを素子に組み込むために世界中の研究所や研究グループが競い合っている。新材料を取り込んだ集積化素子技術の新たな飛躍の為に我が国においても産学官の連携による大型国家プロジェクトを実施する新しい研究組織が作られ、二○○一年度から発進する。
 日本の半導体産業は今激しい技術開発競争にさらされて苦戦を強いられている。IT革命の基盤技術である半導体技術を世界に互して発展させるために、大学の研究に対する産業界の期待はこれまでになく大きい。この現実を見据えて、これからも半導体研究の発展に力を尽くしたい。


 プロフィール

☆一九三九年岐阜県生まれ
☆一九七○年名古屋大学大学院工学研究科博士課程単位取得退学
☆一九六三年富士電機製造(株)中央研究所、一九七○年広島大学工学部講師、一九七五年同助教授、一九七六―七七年ドイツ連邦共和国マックスプランク固体物理研究所客員研究員、一九八二年広島大学工学部教授、一九八六―九六年広島大学集積化システム研究センター長(併任)、一九九六年広島大学ナノデバイス・システム研究センター長(併任)
☆工学博士
☆専門:半導体工学
☆研究テーマ:半導体集積回路デバイス・プロセス






 

 

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