追悼 佐竹 覺 氏を偲んで  


 
 去る十一月十三日、佐竹 覺(株)佐竹製作所代表がご逝去されました。
 佐竹覺氏は、広島大学後援会の設立及び広島大学運営諮問会議副会長等を通して、本学の教育・学術研究に対し深いご理解とご支援を示してこられました。
 ここに原田康夫学長の弔辞を掲載し、生前の佐竹覺氏を偲び、ご冥福をお祈りいたします。



弔辞

 謹んで、株式会社佐竹製作所代表、東広島商工会議所会頭並びに社団法人日本食品機械工業会会長故 佐竹 覺様の御霊にささげます。
 去る十月十三日、中国における中国糧油学会の、日本人初の名誉副会長としてのお努めで、中国要人との会合が重なるなど過密な日程でお疲れが出たのか、大阪に帰国された夜から風邪をひかれたようでした。その後順調に回復に向かわれているとお聞きし、安堵していましたところ、突然の訃報に接し、言いようのない驚きと、お役には立たなかったとは思いますが、医師である私が大阪まで出向かなかったことが、今にして悔やまれてなりません。
 また、十月二十一日の佐竹夫妻を囲むゴルフの会を楽しみにして出発されたお姿を思い浮かべますと、本当に悲しく、残念でなりません。
 覺代表と片時も離れることなくお過ごしであった、御令室 利子様のお悲しみはいかばかりかとお察しして余りあるものがあります。
 覺代表は昭和三十年佐竹製作所に入社され、経営者として、また技術者として次々と実績を上げられ、平成二年、社長、平成九年には国内外佐竹グループの最高経営責任者として代表に就任されました。  今、世界がグローバル化に向かう時、優れた経営感覚と、英語で考えられるという卓抜な語学力を駆使して、サタケを日本のみならず世界の精米機の百パーセント近いシェアを誇る会社にまで育て上げられ、次は製粉であると常々言っておられました。
 この戦略にあたって、製粉分野では世界で初めて、「ペリテック」と名づけられた新しいシステムを開発され、この業界においても世界制覇が始まったところでありました。覺代表から新しい製粉に関してのお話をお聞きする時、その情熱の大きさに、いつも心が躍り、私も、精米、製粉を制すれば世界の食糧加工技術は東広島から世界が賄えますねと言ったものでした。
 その志半ばにして、偉大な経営者、研究技術者であり、そして学問の保護者とも言うべき人を失ったことは、日本のみならず世界にとって大きな損失であります。
 学問へのご支援につきましては、昭和五十九年、広島県内の学術研究支援のため「サタケ技術振興財団」を設立され、平成九年には、広島大学に十億円を投じて支援団体である広島大学後援会(サタケ基金)を創っていただき、毎年多くの研究者に研究助成をしていただいています。
 本年から始まった広島大学の外部評価機関とも言うべき広島大学運営諮問会議では、副会長として大学運営に貴重な御助言をいただきました。特に国立大学の独立行政法人化をにらみ、米国スタンフォード大学とカリフォルニア大学バークレー校、更に英国マンチェスター工科大学を見てくるようにと言われ、先週牟田副学長と共に米国に行ってきたところであります。
 その他公務では、発明協会本部の理事として、発明工夫に係わる日本国のレベルアップに力を注がれ、更に東広島商工会議所会頭として、産学官の連携を深められ、地元東広島市の経済的、文化的発展に尽力されました。
 また、日本食品機械工業会会長としては、食品の安全規格の導入や、業界の高度化、技術力向上に向けた活動にも、全力を傾注してこられました。
 こうした数々の民間人としての御功績により、この度従六位を叙されると共に、勲五等双光旭日章を受章されました。
 これからも佐竹製作所は、利子代表を中心に、世界のサタケとして益々発展するものと信じております。覺代表、どうか佐竹製作所を見守ってあげてください。
 まだまだ申し上げれば限りなく、惜別の情はつきませんが、ここに生前の御偉業を称え、あのやさしくいつも笑顔で接してくださった人となり、御遺徳を偲び、ご参列の皆様と共に心から御冥福をお祈りしまして、お別れの言葉といたします。
             合 掌

 平成十二年十二月十八日
広島大学長 原 田 康 夫
 
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