理学部玄関の鉄扉の想い出
平 本 清 司
(ひらもと きよし) 理学部等事務部
〈部局歴〉
昭和34・9 会計課 57・4経理部主計課
39・4 経理部主計課 63・7理学部
39・4 (呉工業高等専門学校)平成3・4経理部主計課
41・8 教養部 5・4附属学校部
45・4 教育学部 7・4学校教育学部
48・10 経理部経理課 9・4理学部
53・4 歯学部 10・4理学部等
昨秋のことである。下見地区の知人と立ち話の際に、私に「今、どこにいるの」と問い掛けられて、理学部にいますと返事をした。彼は、咄嗟に「ああ、中華風の飾り扉の学部だね」と答え、私は、唖然として「そう、そこにいます」と応えざるを得なかった。
想えば、私が理学部事務長補佐の昭和六十三年秋に、当時の田中隆荘学部長から「理学部移転の記念になるものを西条に移したい」とのお話しを伺い、「それならば、旧文理大の正面大時計と入口鉄扉並びにロビーの大理石はどうでしょう」と提案し、施設部建築課の水戸建築計画係長や当時の松本幸雄企画課長に相談・検討の結果、大理石は、移設すると崩壊するので移転出来ないため大時計及び鉄扉のみを移設することにした。鉄扉の移設については、扉は新しい材料で加工した。鉄扉の飾りは、移転前はコールタールで黒く戦時中に塗られており、塗装前の姿をいろいろ調べた結果、元学長の川村智治郎先生(広島文理科大学を昭和八年三月卒業)が理学部附属両生類研究施設にお見えの際に「自分が知っている鉄扉はピカピカ光っていた」というお話しを伺い、田中学部長と事務部で協議した結果、コールタールを落とし元の金属を研ぎだして移設することとし、平成三年に現在の理学部の正面玄関に中華風の鉄扉として鎮座することとなった。広島大学のさらなる発展と皆様方のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。長い間、ありがとうございました。
理学部玄関の鉄扉の前で(筆者中央)
広大フォーラム32期5号
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