大学を去るにあたって

 内 海 和 彦(うつみ かずひこ) 総合科学部基礎科学研究講座 


〈部局歴〉
 昭和41・4 (東京学芸大学)
   45・10 教養部
   49・6 総合科学部

   
 


 私は一九七○年十月、天文教育者として有名な村上忠敬先生の後任として、教養部に着任しました。間もなく教養部は改組されて総合科学部になりましたが、当時天文学の講座は東大、京大、東北大くらいにしかなかったので、私は総合科学としての天文学の重要性を主張しましたが、全く聞き入れられませんでした。私は広島大学での天文教育は専門家を養成することではなく、できるだけ多数の学生に興味本位でなく基礎のしっかりした天文学を教えることだと考えていたので、当時から私の炭素星の研究は内外の注目を集めていましたが、一般教育を第一にして、研究はすこしずつねばり強く続けることにしました。この目標は一応達成できたと思います。
 これからは好きな研究と趣味の世界に生きたいと思っています。広島大学に望むことは、目先の利害にとらわれず高い理想に向かって進んでいただきたいということです。  


教育学部屋上の天体望遠鏡で学生たちと星の観測(筆者中央)



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