定年退官をむかえるにあたり

 下 村 義 治(しもむら よしはる) 工学部応用理化学講座


〈部局歴〉
 昭和41・4 理学部附属微晶研究施設
   54・4 工学部
 

   
 

 私は平成十三年三月末で広島大学を定年退官して去ります。思い出すのは学生の頃大学の先生になるとは夢にも考えていなかった私がたどった応用物理学研究の軌跡とすばらしい先生・研究者との出会い、研究室の方々・卒業生との楽しく過ごした日々であります。しかしこの紙面はそれを述べるには少なすぎます。先日、米国アルゴンヌ国立研究所より同年代研究者がおいでになりました。同研究所では死ぬまで勤めることが出来てオフイスもあると聞きました。若い頃滞在したイリノイ大学での私の先生は今でも大学のオフイスに出かけて勉強しておられます。このようなシステムは米国では研究者の確保を非常に大切に考えているためだそうです。日本の大学では教官が定年に達すると大学とは縁が切れます。これは人材資源の損失だと思います。研究が仕事と趣味の私にとり退官はつらい事です。日本の大学でも研究者評価システムをつくり合理的な定年後研究システムを可能にすべきです。東大と東工大では定年六十才を順次六十五才に更新していると聞いています。大学が独立法人化しますと大学のランクが問われるようになります。スタンフォード大学は大学のランクを上げる為にどのような戦略をとったかを思い出すべきです。私は学生時代も含めますと四十と数年も広島大学にはお世話になりました。今後の大学の益々の発展を祈っています。



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