2000字の世界(40)

テーマについて考える

文・写真  重 松  良(Shigematsu,Ryo)
工学部第四類土木教室4年
体育会剣道部

 

タイ旅行中の一コマ
−木から川へ飛び込む筆者−


 ある折に、「自分のテーマは何か?」と問われた。
 瞬時に、その問いに返す言葉は、見つからなかった。ボンヤリしていることも多いが、決してぼんやり生きているわけではない。特にテーマということについて考えたことも無かったし、いろいろある中で、今探している途中だから、というのも本音だ。いくつかの好きなことや、やりたいことはあっても、いざ具体的に何か、と問われても沈黙せざるを得ない。なぜ沈黙するのか? そこで「テーマを持つ」ということについて考えてみることにした。

テーマとは

 しかし、テーマっていったい何だろう? 人生のテーマとか今年のテーマ、議論のテーマ、テーマソングなどと耳にする。何かとても大事なようで、でも聞きすぎて意味が少々ぼやけているこの言葉。それがいったい人が生きていく上でどうかかわってくるのか少し気になる。
 そこで、いつものように新選国語辞典(小学館)に戻ってみる。
 【テーマ:@根本思想。主題。題目。A楽曲の主題。主旋律。】
とある。英語の辞書COMPREHENSIVE(旺文社)なんかも引いてみる。
【Theme[i:m]:@主題、論題、話題A作文B主旋律C語幹Dテーマ音楽】
 なるほど、音楽の主旋律なんかと言われると、無くてはならない程重要なものだと納得する。これがあると、際立つ、張りがあるのかもしれない。英語と発音が違うのは、日本語のテーマはドイツ語のThemaがもとになった読み方であるから。だから、テーマソングというのはThema(ドイツ語)とsong(英語)の和製語になる。
 ちょっと脱線したが、言葉の意味はわかった。

チェンマイ(タイ)にて (筆者右から2人目)

テーマを持ってみると
 では、実際にテーマがあるとどうなのか? 僕のテーマを、今何か決めてみよう。何でもいい。仮に、僕のテーマは「自由」にしてみる。
 人が自由であろうとするとき、自由はどこにあるだろうか、ということを考えてみる。まず、人が集まるところに完全な自由は無い。そこにはルールが存在するからだ。ルールは必要なもので、否定すべきではない。しかし、自由であろうとするとき、ルールは邪魔になる。
 「ザ・ビーチ」(レオナルド・ディカプリオ主演)という映画がある。周りとは何か違うことを、自由を、求めて集まった人々が築いた楽園、「ビーチ」で生活するというものだ。しかし、そこには既に(自由であるための)ルールがあり、本当の自由など存在しないのだ。結局ビーチは解散する。
 現実に生きる世界で、完全に自由である必要は無い。それよりも、考えや心の中に自由を持てばいい。これは誰も拘束しようがないからだ。そう思って過ごしていくと、いろんな局面で「自由」ということを照らし合わせていくことになる。折りに触れて考えていくから、自分の中でそれに対する思考が深まり、生きる中でも活かされるだろう。
 このように、心の中に何か思うものを持って、考えながら生きていくことが、「テーマを持つ」ということなのかもしれない。

2001年元旦稽古(筆者右)

自分の人生とテーマ
 次に、今まで、テーマに値するようなものが無かったか? と思考を巡らせてみる。
 僕は剣道をしているのであるが、高校の頃通っていた道場の先生に、「それぞれやらねばならん事がいろいろあるから、やれる範囲を決めてその中で精一杯稽古しなさい」と言われた。もっと時間が取れればいいのにと思いつつも、やる事は他にもあるし、と悩むこともあったので、その言葉を聞いたときすごく気が楽になった。
 したいこと、やらねばならない事がいろいろあると、あれやこれやとどっちつかずに陥ることがある。やれる範囲を決めるということは、それらを整理して、集中できる状況をつくるという上で重要だ。
 そのときから、「やれる範囲を決めて精一杯物事に取り組んでいく」というのが自分のテーマらしきものになっている。
 「範囲を決めて精一杯」その中で何をするか、何を目標とするのか、これらはその時々によって変わっていくのであるが。

終わりに
 何かテーマを持つということは、普段過ごしていく中で、自分で設定したテーマを実現できるようにするためには、と考えながら主体的に生きていくことなのかもしれない。だから、あまりこだわらずに何をテーマにしてもいい。とりあえず設定してみることも大事だろう。見つからなければ、テーマを探す、ということを逆にテーマにしても良いのではないか。続けてみて合わなければ変えればいい。
 テーマがないよりは、あったほうが、生きていく上で少し楽しいかもしれない。僕はそう思う。




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