五十年史編集室だより(11)


学内刊行物の収集状況(二)広報刊行物


収集活動の現況
 編集室では開設以来、資料収集の一環として、各種の学内刊行物の収集を進めています。昨年度の編集室だより(7)(本誌355号)においては、学内の各種刊行物のうち、教務関係資料の収集状況について報告しました。
 幸いにもその記事をご覧になった読者の方より関連資料の提供を受けることができました。この場を借りてお礼申し上げます。
 ところで、学内刊行物のうち、公的に保存されているものについては、各部局等、諸機関による協力を得た結果、学内での捜索を終了しています。収集が完了したとの報告を行いたいところですが、残念ながら公的な保存は完全ではなく、捜索の枠を広げる必要が生じることになりました。  「守株」との揶揄も聞こえてきそうですが、今回は学内刊行物のうち、広報刊行物について取り上げますので、おつきあい願います。

広報刊行物について
 広報刊行物といいますと、本誌や各学部等で出版している小冊子のように、定期的に刊行して学内外へ大学の情報を発信している広報誌を思い浮かべると思います。せまい意味でいえばこの広報誌こそが広報刊行物に当たります。
 しかし大学ではこのほかに、毎年あるいは隔年で、全学や部局等の組織情報を伝える要覧やパンフレットなどを刊行しています。このような一覧類も、広報刊行物にあたります。そして定期的に組織変遷を追うことのできるこの一覧類は、年史編纂の上で重要な資料の一つとなります。
 これらに加え、各部局等で出している紀要類も、研究内容に関する広報刊行物ということになります。多少粗雑な分類ですが、ここでは広報刊行物をこの三種に大別します。

収集状況の概略
(一)広報誌類
 学内でこれまでに刊行された広報誌類は、管見の限り四十種近くにのぼります(表参照)。誌名や内容を変更して数十年続いているものもあれば、短期間で廃刊したものもあります。廃刊した広報誌の収集が困難であることは想像に難くありませんが、意外なことに継続刊行中のものでも、編集元での保存が不完全である場合があります。
 表中の編集室所蔵欄の「S」は昭和を表し、ハイフンは連続した号数を所蔵していることを表します。二十五年史の編纂期間中であった昭和四十年代後半から五十年代にかけてと、当編集室ができて以来の広報誌は比較的そろってはいますが、それでもこれまでに各学部などで作成されてきた広報誌全体からみれば、ほとんど収集できていないというのが現状です。
(二)一覧類
 各学部等で作成する概要、要覧や、受験生向けのパンフレット、あるいは諸施設の利用案内のような一覧類は、平成十年前後に刊行されたものを除いて、全体的に収集が手薄です。また、各一覧類の外国語版はほとんど入手困難となっています。ここ数年に設置された学内共同施設等の一覧類は比較的集まりましたが、完全とはいえないのが残念です。
(三)紀要類
 紀要類は基本的に研究成果の公表メディアであるため、五十年史の編纂には直接的には関係ありません。しかし、なかには随時記念特集を組んで組織の沿革を示したり、回想録を掲載したりする場合があります。また、行事予定や業務日誌を掲載している場合もあり、それらは各組織や個人の活動を把握するための重要な資料となります。このため年史の編纂にはこれらも欠くことのできない資料といえます。


資料提供のお願い
 紙面の都合上、一覧類、紀要等についての情報は掲載できませんでしたが、右に記したような一覧類や紀要類について情報をお持ちでしたら是非ともお知らせ願います。
 以上、当編集室の情報収集力不足を露呈するばかりでお恥ずかしい限りですが、この機会にお手元の学内刊行物をご確認いただき、当編集室へ提供していただければ幸いです。
 また、これに限らず、本学の歴史に関わりそうな資料等の廃棄を考えられた折には、ご一報いただけますようお願いします。

広報誌一覧
作成部局等 名称 研究室所蔵
事務局 広島大学学報 No.1-
広報委員会速報(廃刊) S44年度[1-148]
S45年度[1-50]
S46年度[2-6,9-10,13-19,22-24,26,29-44]
S47年度[1,2,4-6]
学内通信(廃刊) No.1-271
広大フォーラム No.272-
不死鳥 No.29-33,35-39
国際交流INFOMATION「サラダボール」 No.11,13
広大環境 No.2-12,14-27
広島大学紹介 なし
付属図書館 図書館だより(廃刊) Vol.2-5
リエゾン(図書館報) Vol.24(3・4)-26(1・2)
教養部 広大教養(廃刊) No.45,47-50
総合科学部 飛翔 No.4,55,57
メタセコイア(廃刊) No.1,2,21,22
総科 News Letter No.1-57,59-119
教育学部 かがみ通信 No.26,27,29,30
学校教育学部 広島大学学校教育学部広報 No.2
理学部 理学部通信 No.7-188,190
医学部付属病院 病院広報 なし
歯学部 歯学部通信 なし
歯学部付属病院 付属病院通信 なし
工学部 工学部だより No.1-38,39,40
コミュニケーション '70(1)-'70(3)
'70(4)-'77(1)を除く
ニューズレター(英文) No.9,10
大学院国際協力研究科 IDEC NEWS LETTER No.1-6
高等教育研究開発センター コリーグ ―高等教育研究開発センター通信― No.27-29
低温センター 低温センターだより No.1-8
機器分析センター 機器分析センターニュース No.1-2
アイソトープ総合センター アイソトープ総合センターニュース No.1-4
ナノデバイス・システム研究センター CENTER NEWS No.1
平和科学研究センター 平和科学研究通信(廃刊) Vol.1(1)-(4)
Newsletter 2000年
総合地誌研究資料センター 地誌研ニュース No.1-6
情報教育研究センター 情報教育研究センターニュース No,1-5
外国語教育研究センター FlaRE News No.1-18
付属学校部 付属学校だより No.40-49,51


大学史の散歩道

広島県立文書館所蔵
「国立広島総合大学設立資金募集一件」
(簿冊番号S01-90-1261)より(53.5×24.5p)


カープと広島大学
 プロ野球シーズン開幕。山本浩二監督が復帰したカープの活躍に期待を寄せている読者も多いのではないだろうか。
 さて,カープがセ・リーグに加盟したのは1949年11月。カープと広島大学とは「同級生」なのであるが,これは単なる偶然ではなく,両者の発足には少なからぬ関係があったのである。
 写真は,「広島綜合大学設立資金募集」のために1949年5月22日に行われたプロ野球公式試合阪神対東急戦のポスターである。この試合には,1万2千人の観客が詰めかけ,124万円の入場収入があり,うち20万円が募金に回された。この試合の招聘にあたった河口豪氏(当時中国新聞社東京支社通信部長)は,「広島には,何度となく,プロ野球を迎えたが,その都度大入り満員で,主催者側から喜ばれた。なかでもいちばん印象に残ったのは,広島大学設立基金募集のためのものであった。当時県議会の事務局長(のち県議)田口さんは私を広島駅頭に見送って『ありがとう,ありがとう』と何度も礼を述べられた。こうしたことから私は『広島にプロ球団を』と考えるようになったのである。」と記している(『栄光の広島カープ風雪25年』)。
 河口氏は,カープ創設の中心メンバー(のちカープ代表)。広大設立にあたっては,国立広島綜合大学設立推進本部が県庁内に設置され,広島綜合大学設立期成同盟会も結成されて,国立広島綜合大学設立運動が県民一体となって進められた。広大創設にかける県民のエネルギーと野球熱とが相まって,市民球団カープが誕生したのであった。
 カープが募金によって経営難を乗り切った話は著名であるが,広島大学の設立・整備にあたっても,県民の皆さんからの募金や県の補助金によって支えられた。こうした歴史の中に大学を位置づけることによって,真に「地域に開かれた大学」となり,カープのように地域の人々に愛される大学となることが,私たち広島大学とその構成員に課せられた使命であろう。
(菅 真城)


50年史編集室ホームページ http://www.ipc.hiroshima-u.ac.jp/~nenshi50/

業務日誌抄録


平成十二年
12・5 中村亨氏(工学部43生)より紛争時ビラ等一〇〇点を受贈。財界研究所鰍ェ発行する雑誌『財界』において岡田茂氏(東映会長・広高同窓会)の「悔いなきわが映画人生」欄に編集室提供の写真が掲載される。
12・8 京都出張◇全国大学史資料協議会第三回研究会出席(菅)。
12・21 第十九回幹事会。
12・22 原田学長へ『広島大学史紀要』第三号への寄稿を依頼。
12・28 仕事納め。

平成十三年
1・4 仕事始め。
1・15 間田泰弘氏(教育学部)より教育学部改革関連ファイル、七冊を借用。
1・22 第二十回幹事会。
1・26 評議会情報部会の答申に対する提言書を提出。
1・29 調枝孝治氏(総合科学部)より体育学部創設関係資料、七箱を受贈。


〈連絡先〉50年史編集室 電話 0824(24)6050 FAX 0824(24)6049
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