五十年史編集室だより(13)
広島大学は県民の「米百俵」



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 広島大学を創設するためには、お金はいくらかかったのでしょうか。「広島大学創設に関する経費概算」(一九四八年八月)によると、所要経費総額は四億五三六九万七千円、このうち県有土地建物等の現物寄付分を除いた三億四〇一六万五千円が現金で必要とされていました。国立大学であるからには、これらの経費は国費によって賄われたと考えるところですが、実はそうではありません。三億四千万余円の三分の一は県費で、残り三分の二は寄付金によって賄われることになったのでした。




 県内募金は、世帯数に基づいて郡市別に割り当てられました。例えば広島市の場合、一世帯あたり二九〇円、比婆郡は三五円として負担額が算定されました。このほか、プロ野球公式試合(阪神対東急)、「広島おどり特別公演」などの特殊募金や「広島県教育宝くじ」の収益も、大学設立資金に当てられました。その額は一九五二年までで約一億二千万円、五三年以降も県寄付金による施設整備がなされました。

 「国立広島総合大学設立資金募集趣意書」では、「もともと国立総合大学である以上当然国家がその経費…は負担すべきであるが敗戦日本の赤字財政の現状よりしては到底その力なく、結局これは県民われわれに於て寄附するの外はないのであります。しかも本県特に広島、呉、福山の三市は戦災により破壊され、農村亦不況に喘ぎ税の負担も重く此の上多額の経費を負担することは正に血涙を絞るの実状にあるのですが、本県百年の興隆大計の為には、いかなる困難をも克服して此の際是非平和文化の殿堂『広島大学』の建設を期せねばなりません。」と述べられています。

 戦後の困難な時代、広島県民は「本県百年の興隆大計の為に」「血涙を絞」って、いわば「米百俵」を広島大学設立資金にあてたのでした。県民の「米百俵」によって誕生した広島大学は、その米を一万俵、百万俵に増やし県民に貢献してきたのでしょうか。「平和文化の殿堂」となったのでしょうか。大学の出発点に立ち返って、今一度「地域と大学」について考える必要があるでしょう。

 なお、今回紹介した写真の多くは、広島県立文書館所蔵の県廃棄文書です。これらの文書が保存されていたため、広大設立の過程を明らかにすることができます。行政文書としての役割を終えても、貴重な歴史資料なのです。広島大学の行政文書も貴重な歴史資料=「国民の共通の財産」なのであり、それを保存・公開することは、国民や地域社会に対する責務なのです。

(菅 真城)

- NEWS -
  ■調査・研究活動■
◇広大に関連する雑誌記事の調査のため、旺文社を訪問(5/28〜6/1)
◇広島県立文書館で資料調査(6/15)
◇山田浩名誉教授(総科)・横山英名誉教授(文)を招き座談会を開催(6/20)

  ■資料の受入■
◇盛生倫夫名誉教授(医)宅で資料調査。一部資料を受贈、借用(7/22)
◇式部久名誉教授(総料)旧蔵資料等、総合科学部20年史編纂資料を調査、借用(8/15)

  ■行政文書の保存■
◇各事務(部)長、事務局各部長宛に「行政文書の廃棄手続きについて」を送付し、編集室が行う廃棄文書選別への協力を依頼(8/9)


〈連絡先〉50年史編集室 電話0824(24)6050 FAX 0824(24)6049


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