セミパラチンスク市は、中央アジア、カザフスタンの旧首都アルマティから飛行機で北へ二時間の距離です。セミパラチンスクはカザフ語でセメイ、ロシアの要塞として発祥しました。寒暖差の大きい気候ですが、市内を流れるイルティシュ川沿いには緑も多く見られます。直線的に区分された街路に、ドストエフスキー博物館やイスラム寺院聖堂とデパート・遊園地が混在する街です。
市の北西一五○キロほどでは、一九四九年から約四十年にわたり、地上および地下核実験が五七○回余り行われました。広島・長崎の場合と異なり、放射性降下物や食物での内部被曝によって影響を受けた人々は五十万人を超えるといわれています。
独立後の一九九一年以来、経済的問題から検査試薬にもこと欠き、新しい医療情報も入手困難となっています。今回、セメイで被曝者検診を立ち上げるJICAプロジェクトに参加しましたので、その旅行記をご紹介します。
カザフスタンへの渡航は今回で五回目ですが、色々な面で変わりやすく旅慣れない感じです。関西空港から二日がかりでアルマティに着きました。大きなダンボールに三つの携行機材が重く、通関に手間取りました。人道的支援ですが、別送品の機材が空港止めになることもあるようです。
セメイへは、尾部にタラップがある四十人乗りの小型ジェット機を利用します。セメイ空港は、市内から十五キロほど離れたステップの真中にあります。現地調整員の方々や市の衛生局長エンセバイロフ氏も正装で出迎えてくれて恐縮に思いました。
JICA事務所は、活動拠点の一つ、診断センターの二階にあります。診断センターは、診断および一次救急を担当している医療機関です。JICAプロジェクトは、無償援助と医療技術支援の二つに分けられますが、今回は、検診の前に現地医療者の教育を目的とした技術支援が中心となっています。顕微鏡の組み立てのあと、活動計画概要の打合せを通訳のナイラ先生と行いました。ナイラ先生は、元医科大学の教授で、各病院の主任医師の多くは彼女の教え子です。
救急病院では、講義内容を英訳しロシア語の資料を作って、前白血病状態である骨髄異形成症候群の新分類とミニ血液幹細胞移植の講義をしました。本病院は血液の専門病院ですが、経済的理由で白血病新患は年間十例程度と減少傾向です。講義は、他病院の医師・臨床検査技師も参加し盛況でした。血液染色法の実技指導も患者標本を使用して行いました。診断は、急性骨髄性白血病、骨髄異形成症候群 、再生不良性貧血でした。
被曝調査で中心的役割を果たすカザフ放射線医学環境研究所を訪問した際には、星教授と甲状腺外科の武市先生とお会いしました。固形腫瘍の診断・治療を扱う癌(治療)病院と成人白血病の血液部門をもつ小児病院も視察しました。二名の急性リンパ性白血病患者の相談を受けましたが、薬剤が高価で十分な治療ができず、化学療法は無菌室として必要な空気清浄器のない六畳くらいの簡易手術室で行っていました。検査手技は、血球計算を計算盤で、生化学検査も手作業で測定せざるを得ないようです。
日本のような保険制度のない状況下で治療に対する限界も痛感しますが、まず情報を提供すること、次に現地の医療者が問題解決を自律的にはかれるように方向付けることが大切と思いました。来年からいよいよ検診が始まります。得られた検診データを用いて、血液疾患患者のスクリーニングを実施し、広島・長崎の原爆に起因する病態との比較調査も行っていく予定です。