開かれた学問(85)


オーダーメイド癌化学療法
TAILORED CANCER CHEMOTHERAPY

文・西山 正彦
( Nishiyama, Masahiko )
  原爆放射能医学研究所(原医研)
  分子情報分野教授



同じ薬剤であっても効果と毒性(副作用)は個人個人で異なります。オーダーメイド(英語ではテイラード)癌化学療法とは、抗癌剤の効き目をゲノム・遺伝子情報から予測し、患者さん一人ひとりに最も適した治療を行おうとする新しい医療の試みです。

【癌化学療法】
 抗癌剤治療(化学療法)は、手術療法、放射線療法と並んで現在の癌治療を支える大きな柱です。ところが、抗癌剤の効果、副作用は人によって異なるのです。少しでも副作用が少なく効果の高い治療を選びたい、これは患者さん、ご家族及び施療者である医師らに共通する願いです。しかしながら、薬剤に対する応答の個人差を治療前に客観的に知る術がなく、抗癌剤治療の選択は医師の技量と経験、そして奏効率という確率論に頼らざるを得なかったのです。今、こうした抗癌剤治療が大きく変わろうとしています。

【オーダーメイド癌化学療法とゲノム】
 客観指標による至適治療の選択、すなわち癌化学療法のサイエンス(オーダーメイド医療)への進化にエネルギーを与えているのがゲノム研究です。
 ヒトの体はDNAによってプログラムされています。そのアデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)の四塩基からなる三○〜四○億対の配列情報によって、蛋白、細胞、組織や器官が形成され、生体として統一性をもった機能が維持されています。逆にいえば、複雑な生体応答の源はその塩基配列にあることになります。例えば、お酒が飲めるか飲めないかという個人差もアルコールを分解する酵素(アルコール脱水素酵素)の遺伝子の配列情報の差によって(たった一カ所の塩基配列の違いでも)大きな影響を受けています(図1)。薬の副作用や効果も同様と考えられています(ゲノム薬理学)。ここに薬剤の代謝酵素や作用標的などの遺伝子の発現やそれを規定する配列の違いによって、副作用が少なく効果の高い治療を選ぶというオーダーメイド薬物療法の概念が生まれてきたのです。


【開発研究の現状】
 最近では、オーダーメイド癌化学療法が実際に役立つことを示唆した臨床研究の報告もみられるようになってきました。小児白血病での試みでは、ある特定の薬剤代謝酵素の遺伝子の構成を調べることで投与量を軽減し、抗癌剤治療がうまく続けられることが示唆されています。しかしながら、 全体的にみて、それらはむしろ特殊例で、オーダーメイド癌化学療法はいまだ基礎的研究段階のものといえます。
 ヒトは想像以上に複雑な生物です。ゲノム計画が進むにつれて、いくつもの遺伝子がひとつの蛋白の生成に関わり、相当数の細胞と情報交換して働いていることなどもわかってきました。それらが入り交じって薬の効果や副作用として顕れるまでには、さらに遺伝子、蛋白、細胞、組織、器官など様々なレベルで色々な出来事がおこります。オーダーメイド癌化学療法を実現する鍵は、それら複雑な機能を示した天文学的数の情報からいかに核心に至る情報、すなわち薬剤応答を規定する要因を確定できるか、にあります。

【将来へ向けて】
 私どもの研究室では、遺伝子の網羅的な発現解析でまず薬剤応答に関連する遺伝子群やその発現プロファイルを求め(図2)、限定された候補遺伝子の確かさを証明し、最後にその遺伝子構成の差を明らかにしていく方法で研究を進めています。また、新しい知見をもとに実践可能な治療モデルの確立を並行しています。その一部はすでに臨床で試みられており、次、またその次の臨床研究を現在準備中です。こうした基礎研究をヒト医療へと結ぶトランスレーショナル・リサーチが世界中で活発に行われています。そう遠くない将来、一人ひとりにフィットした癌化学療法を簡単な血液検査で決められる時代が訪れるかも知れません。



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プロフィール
○1981年広島大学医学部医学科卒業(医学博士)
○1987年同原爆放射能医学研究所助手(外科)
○1994年同講師(腫瘍外科)
○1996年同教授(分子情報)
○専門分野:分子腫瘍学,癌化学療法
○E-mail:yamacho@hiroshima-u.ac.jp



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