留学生の眼(86)

私が育った北朝鮮


文・呉  明璽
(Go,Meiji)
大学院社会科学研究科博士課程前期1年
(朝鮮民主主義人民共和国出身)

 こんにちは。私は中国からの留学生で、呉 明璽と申します。去年の四月に来日して、瞬く間に一年半過ぎました。この間に生活上や学習上いろいろな問題がありましたが、いつも指導教官の先生や留学生担当の先生、院生たち、いろんな日本人の方々に教えてもらったり、励ましてもらったり、本当にお世話になりました。この場を借りて心からお礼を申し上げたいと思います。
 日本で生活してきたこの一年半の間に一番多く聞かれたのは「呉さんはなぜ日本に来たのですか?日本についてどう思っていますか?」という質問です。
 中国の大学では日本語学専攻でした。日本のことをもっと理解するためには、日本の大学で勉強したほうがよいと思って、広島大学大学院に入りました。日本についてどう思っているかについては好き嫌い一言で言えるものではないと思います。
 中国からの留学生と言っても、実は中国での生活は大学に入ってからです。高校まではずっと朝鮮民主主義人民共和国(以下「北朝鮮」と使用)の新義州市(地名)に住んでいました。つまり北朝鮮に住んでいる華僑(中国人)です。北朝鮮での生活が中国より長かったので、ここで私が感じた日本と北朝鮮の違いをちょっと話したいと思います。
 北朝鮮でも日本と同じように学生には制服があります。ですから、日本で制服を着ている学生を見ているととても懐かしく感じます。日本の制服姿に対するイメージといえば、短いスカートに茶髪、化粧を塗った顔に長い爪、とにかくどんな格好でもOKのようです。
 私が中・高校生の時には、制服のスカートの長さは決められていました(膝の下)。髪の毛の長さ、爪の長さまでたくさんのことが決められていたのです。両国の学生服姿はよく似ていても、その中身があまりにも違っていることに驚きました。
 日本に来て一番嬉しかったことは、日本の水道の水がそのまま飲めることです。新義州では現在水道の水は消毒されていないようですから、そのまま飲むことはできません。特に雨が降ると泥土が混ざった水が出てきたり、冬になると水道管が凍ってしまって、水が全然出なかったりします。その中で何よりも一番困っているのは、水が高いところまで上がらないことです。ですから、ビルの二階以上に住んでいる人の用水はほとんど夜中に低い水道管の家へ行って、水を運んで使っています。そう言えば、小さい時の私もよく大人と一緒に水を運んでいたことを思い出しますが、その時の自分はただの遊びとして水を運んでいたのでしょう。それに比べて、日本では「停水」という言葉を知らない国のようです。ほとんどの建物の中には二つの水道管(お湯と水)が付いています。ですから、冬になっても全然手が凍る心配はないのです。とても便利だと感じました。ただ、少し不満に感じたのは日本の光熱費が高いことです。
 北朝鮮では、すべてのものが配給制度ですから、病院に行ってもお金はかかりませんが、これに比べて、日本の病院の治療費はとても高いですから、たとえ病気になったとしても、とても病院に行こうとは思わないのです。
北朝鮮の紙幣  北朝鮮の学校では学費なども存在しません。テキストからノート、文房具はすべてが配給されますが、但し、教科書の紙が厚くて、黒いものですので、文字がはっきり見えないのです。特に停電が多い国ですから、蝋燭を使って勉強した日々も少なくありません。近年、エネルギーや食料不足などが激しくなり、配給制度も形骸化しています。特に夏の暑さは何とか我慢できますが、冬の教室はとても寒くて、手が硬くなってしまって、字も自由にかけないほどですから、とても勉強しやすい国とは言えないのです。それに対して、日本の教科書は紙が薄くて、白い、たとえ辞書のような小さい文字でもはっきり見えます。特に情報の流通がとても速いことは、何よりも嬉しいと思っています。しかも停電も無い国で、夜になってもまるで昼のように明るいから、遅くに一人で学校から帰ってきてもあまり怖くはありません。勉強環境がとてもよい国だなあと感じました。
 しかし、日本は高消費社会で、生活だけではなくて、勉強にはお金が必要です。本の値段も高いから好きでもなかなか買えません。今まで何回も奨学金を申し込んでみましたが、ずっとだめでした。やむを得ず学費や生活費などを補うためにアルバイトをしています。ですから、日本は日本人だけではなくて、私たち私費留学生にとっても生活しやすい国になったらいいなあと思っています。(原文日本語)

写真:北朝鮮の紙幣

広大フォーラム33期4号 目次に戻る