特集 新入生の皆さんへ



新入生を迎える言葉

「評価に耐える実力」











広島大学長 牟田 泰三
(Muta, Taizo)





 新入生の皆さん、ご入学おめでとう。皆さんを心から歓迎します。
 さて、皆さんにとって、小学校以来、学校の成績は気になることの一つだったでしょう。学期末になって成績が知らされる頃になると、いやな思いをした人もあるでしょうし、逆に、成績発表が待ち遠しかった人もあるでしょう。自らの努力が評価されるのは誰にとっても重大関心事です。
 評価は、生徒の成績評価に限ったことではありません。組織としての大学も評価の対象になっています。一般社会に目を向けると、企業等でも、組織に対しても、個人に対しても評価がなされています。社会のどこに居ても我々は評価にさらされているのです。
 近年「評価」という言葉がよく聞かれるようになりましたが、実は我々日本人は、この評価という営みを、別の言葉を使って、古来から実践してきています。昔から、我が儘を言っている子供に、よく親は「近所の人に笑われますよ、恥ずかしいでしょう」と言ったものです。かつて武家の社会では、恥を最も嫌い、世間の目というものを強く意識しました。これを、日本の伝統的な「恥の文化」だと考えたのは、第二次世界大戦中の日本研究をもとにして「菊と刀」を著したルース・ベネディクトです。
 恥と言えば、人目ばかりを気にする感心しない風習という否定的な見方をされることもあり、恥の文化について語る時、いくらかの後ろめたさがつきまとうのも事実です。しかしながら、人が本来なすべきこと(目標)に向けての努力を怠り、目標が達成されていない時に、まわりから低い評価をされることをもって「恥」と考えるとすれば、恥は、現在我々が評価と呼んでいるものの結果そのものだということになります。前述の「近所の人に・・・」は、「周りから悪い評価を受けないように人間としてしっかりしなさい」と言い換えることもできるでしょう。恥が、目標を達成していない時の低い評価だとすれば、目標を見事に達成した時の高い評価は「誉」です。だから、恥の文化は「誉の文化」だとも言えます。恥や誉は評価の結果です。この両方をもたらす作業に対する適切な言葉は「評価」に他なりません。
 この「評価」という概念は、現代社会では益々その重要性が高まっています。入学してくる皆さんは、広島大学でもちろん成績評価を受けますが、評価はそれだけではありません。皆さんの一挙手一投足が人々の評価を受けているのです。あらゆる評価に耐える実力を磨き、評価に耐える行動をして頂きたいと思います。
 また、評価の結果、問題点があれば、当然その点を改善すべきです。評価の結果は常に改革改善につながるべきなのです。皆さんが在学中に評価を受け、それをもとに自己を改善し、卒業後に高い社会的評価を受けてくれることを願っています。皆さんが社会的に高い評価を受けるということは、とりもなおさず、広島大学の評価が高まることを意味します。
 新入生の皆さんが、高い目標を掲げ、それに向かう努力によって自らを磨き、どのような評価にも耐える実力と人格を備えてくれることを期待します。





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