五十年史編集室だより(17)

平和公園を歩いてみると〜原爆と広島大学〜



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 原爆ドームと厳島神社。ともに広島県を代表する観光名所であり、世界文化遺産にも登録されています。これらの文化遺産の保存・継承には、広島大学関係者の関与もみられます。今回は、原爆ドームをはじめとして、平和記念公園周辺を歩いてみることにしましょう。



保存工事中の原爆ドーム
(中国新聞社提供 1967年6月13日)

原爆ドーム

 現在では、核兵器廃絶と世界平和のシンボルとして定着している原爆ドームですが、保存するにあたっては、技術的に困難な問題がありました。一九六五年、広島市からドームの補強方法について調査依頼を受けた工学部の佐藤重夫教授は、エポキシ樹脂接着剤注入による保存工法が可能であると回答しました。この報告を受けて、広島市はドーム保存募金を行い、一九六七年に保存工事が実施されました。その後、一九八九年〜九〇年に第二回目の保存工事が行われました。佐藤さんは、「原爆ドームの主治医」と呼ばれました。



動員学徒慰霊塔

 原爆ドームの南隣には、一九六七年に広島県動員学徒犠牲者の会によって建立された動員学徒慰霊塔があります。勤労奉仕中に被爆死した六千余名の慰霊塔であり、建物疎開作業中に三百三十余名が犠牲になった広島女子高等師範学校附属山中高等女学校をはじめとする広島大学の前身校の学生生徒も祀られています。



原爆死没者慰霊碑

 一九五二年に建立された広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれています。この碑文を撰定・揮毫したのは教養部の雑賀忠義教授です。碑文の「過ち」の主語をめぐって論争が起こったことがありましたが、雑賀さんは、「広島市民であると共に世界市民であるわれわれが、過ちを繰返さないと誓う。これは全人類の過去、現在、未来に通ずる広島市民の感情であり良心の叫びである。『原爆投下は広島市民の過ちではない』とは世界市民に通じない言葉だ。そんなせせこましい立場に立つ時は過ちを繰返さぬことは不可能になり、霊前でものをいう資格はない」と反論しました。


座り込み

 核実験が行われると、慰霊碑の前で座り込んでいる方々を目にします。一九六二年、この座り込みを最初に行ったのは、文学部の森瀧市郎教授でした。「座っとっちゃ、(核実験を)とめらりゃすまいに」という幼女の問いかけに対する森瀧さんの答えが、「精神的原子の連鎖反応が物質的原子の連鎖反応に勝たねばならぬ」でした。森瀧さんの慰霊碑前での座り込みは、四百七十五回に及びました。



平和の鐘

 平和公園の北部には、一九六四年に原爆被災者広島悲願結晶の会によって建立された平和の鐘があります。この鐘には同会会長であった森戸辰男初代学長の「自己を知れ」という言葉が記されています。


 広島大学は「自由で平和な『一つの大学』」の実現を目指して歩んできました。「平和を希求する精神」は広島大学の理念です。この精神の出発点への思いをはせて、みなさんも平和公園を歩いてみませんか。
(菅 真城)




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