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戦え! 広大生
文・齋 藤 智 彦(Saito,Tomohiko)
平成14年3月法学部卒業 現在食品メーカー勤務
ゼミの忘年会風景(左上で手をあげているのが筆者)
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【はじめに】
入学した時、僕は、ざっくりとした目標をたてました。「前半二年間は、普通の大学生。後半二年間は、ちょっと変わった大学生。」そして、その計画にしたがい、行動してきました。たくさん笑って、たくさん泣いた、不器用な四年間でした。
【一・二年の頃】
オリキャンに参加しました。オリキャンの総局長をしました。すべての仕事を自分一人で抱え込んで、毎日三時間くらいしか眠る時間がなくて、発狂しそうでした。人に仕事をお願いすることの難しさを知りました。バイトを始めました。パスタ専門店での調理補助。『使えない奴』『やめろ』と、バイトにいくたびに言われつづけました。すっごく悔しくて、毎日家に帰って泣いてました。結局、三年半もの間お世話になりました。語学が嫌いで、英語にも、ドイツ語にも行かなくなりました。結局、英語は、四年の夏休み、第二外国語の単位修得は、四年後期までかかりました。車を買いました。納車二日目で事故をしました。必死にアルバイトをかけもちして、本体価格と同じ値段の修理代払いました。夏には、毎日海に行きました。生まれて初めて彼女が出来ました。お付き合いは、結局、半年間しか続きませんでした。
【三・四年の頃】
三年生の春休みに、タイでのワークキャンプに参加しました。小学校建設をしながら、全く言葉の通じない家で十日間程すごしました。今までの人生観がぶっ壊れました。自分の器の小ささに気が付きました。帰ってすぐ、アジア政治のゼミへ参加しました。市内に行って、広島アジア塾で社会人に混じって勉強しました。通信教育の英語教材を購入、三日で挫折しました。夏休みには、短期留学でオーストラリアに行き、一か月間ホームステイをしながら、ダイビングしました。英語はビックリするくらい伸びませんでしたが、グレートバリアリーフは最高に綺麗でした。三年後期から四年前期は就職活動。大阪〜広島間を自費で十七往復しました。関西の大学の猛者どもと渡り合いました。自分の思いが上手く伝えられずに、電話で五時間なきじゃくったこともありました。最終面接で東京に呼ばれた時は、感動的でした。夏休みには、「議員インターンシップ」なるものに参加しました。秘書?付き人?みたいな感じで、ひたすら政治家についてまわって、実際の政治の世界をかいまみました。四年後期には、ひたすらいろんなことに手出してみました。夏休みに参加した、「議員インターンシップ」の運営の団体の中国地方の代表をやってみました。全国各地の大学生と、メールやパソコンを駆使して、リアルタイムで仕事をしていくのは、なかなかの快感でした。「就職塾」を立ち上げ、自分たちの就職活動での失敗談などを法学部の後輩たちに語ったり、エントリーシートの添削や、模擬面接をやってみました。ど素人が指導するのは、なかなかうまくいきませんでした。
【皆さんへ】
僕は、広島大学の学生は、得てして、「インプット」のみで満足してしまうことが多いような気がします。授業を聞き、ノートをとり、ゼミに参加し、研究をし、レポートをまとめる。そういった勉強は非常に大切です。しかし、ぜひとも、「アウトプット」にも力をいれて欲しいなと思います。せっかく勉強して「知識」を吸収したとしても、それを実際に自分が使いこなせていない人が多すぎるような気がします。皆さんもどんどん、学生の間に外に出て、「広島大学」の看板を背負って、全国的に、世界的に、勝負していって欲しいなと思います。そんな人が増えていったら、きっと、日頃の勉強もすごく楽しいものになるし、もっと素敵な広大になると思います。応援してます。頑張ってね。
広大フォーラム34期1号 目次に戻る