開
か
れ
た
学
問
(89)
角筆研究
東アジアへの拡がり
文・
小林 芳規
( Kobayashi, Yoshinori )
広島大学名誉教授
紙面を凹ませて文字などを書いた平安時代の古文献を、四十年前に初めて発見して以来、今日までに日本全国から三千二百点余を見付けることが出来ました。その源は、中国二千年前の漢時代にあり、敦煌文書からも凹みの文字や符号が見出されました。今度、新たに朝鮮半島からも発見されて、東アジアの言語文化研究に、新しい視点が生まれつつあります。
角筆で書き入れたハングルの「
」(Wiの音を表している)
ソウル市の誠庵古書博物館蔵の妙法蓮華経巻
第一の本文の一部(十五世紀後半の刊本)
朝鮮半島からも発見
中国大陸で角筆が曽て使われ、日本列島の各地でも角筆が広く使われたことが分ってみますと、日本の古代文化史上、高度な大陸文化を摂取するに当り、地理的に重要な位置を占め、その役割を果たした朝鮮半島においても角筆が使われ、その古文献が遺存するであろうことが予想されました。
その予想が、一昨年二〇〇〇年七月の韓国調査で現実のものとなりました。今日までの四回の訪韓調査で、ソウル市内の五つの大学校中央図書館と二つの博物館の貴重書の中から、計五十点余の角筆文献を発見することが出来ました。
古代語研究こと始め
五十点余の角筆文献は、七世紀後半から十九世紀までの仏典と漢籍(中国古典)でありまして、その漢文の本文を朝鮮語で読解するために、角筆の凹み文字や符号が施されています。凹みであったために、韓国においては、今まで単なる漢文の経巻とだけ見られていて、朝鮮語の書かれていることに気づかれませんでした。韓国の学者は、二〇〇〇年七月の角筆の発見を以て、"古代語研究事始め"(『しにか』二〇〇一年七月号、富山大学藤本幸夫教授紹介文)としています。
十一世紀以前の朝鮮語資料
従来、韓国では一四四六年にハングルが創案され公布されて初めて独自の文字を持つことになり、それ以後の言語研究が文献に基づき実証的に行われて来ました。公布前までは、中国大陸の文字である漢字を使っていました。この度の角筆文献のうち二十点余は十一世紀以前の仏典であり、千年前の朝鮮語を生の資料で具体的に考察することが出来まして、音韻・文法、敬語など解明される道が拓かれたのです。
角筆で書き入れた仮名(口訣)の「十」とヲコト点。
「十」は助詞「に」を表す。漢字「中」から作られた。
「方」「常」などの字画の中に見られる凹みの点がヲコト点。
ソウル市の誠庵古書博物館蔵の瑜伽師地論巻
第八の本文の一部(十一世紀の初雕高麗版)
日本の学界の定説を覆す
日本の古代の学問も、中国の古典や仏典の漢文を日本語で読解することが基本でありました。その方法として、仏典の経巻に訓点としての仮名やヲコト点などの符号を書き入れることが、九世紀初めから見られます。ヲコト点は一定のルールに従って、漢字の周りなどに「・」「−」などの印を書き入れて、テニヲハや敬語などを表したものです。それは、日本独自のものであり、奈良東大寺の華厳宗の僧あたりが創案し広まったと説かれて来ました。
この度、韓国で発見された十世紀と十一世紀の華厳経などに、日本のヲコト点と同じような符号の書き入れが見付かって、日本独自説が覆ってしまいました。しかも、体系的に整備され、系統立っていて、新羅時代にまで遡ることを示す証拠も見出されたのです。日本の華厳宗は、新羅の華厳宗を受容して始まりました。ヲコト点も、九世紀初めに日本が新羅から取り入れて使い出し、発達させたという筋も描かれるのです。
片仮名はほんとうに日本人が創ったのか
片仮名は、日本では九世紀初めに、経典の漢文を読解するための一種の符号として、ヲコト点と共に使い出され、後世にかけて簡易化と統一が進んで、やがて文字として独立したのです。その字体は漢字の筆画の一部を省くのが基本であります。韓国の十一世紀の仏典にも同じ省画の方法で作られた仮名(口訣)が角筆で書かれ使われています。手法が同じであるのは、偶然に一致した可能性もありますが、古代言語文化の交流から見れば、これにも影響関係がありそうです。現存する資料の限りでは、日本の片仮名が時代的に先ですが、韓国の十世紀以前の仮名資料が発見されれば、先後関係は変わるかも知れません。今後の韓国の角筆文献の発掘調査に大きな期待がかかっています。
プロフィール
1952年 東京文理科大学国語学国文学科卒業
1970年 文学博士
1972年 広島大学文学部教授
1991年 恩賜賞・日本学士院賞
1992年 広島大学名誉教授
1992年 徳島文理大学文学部教授
専門分野:国語学(日本語史・漢文訓読史)、角筆研究
広大フォーラム34期1号
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