五十年史編集室だより(18)

旧制広島高等学校創設期のアルバムから



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広高正門前にて
(現附属中・高等学校正門前)
 本学の前身校の一つ、旧制の広島高等学校(以下、広高)を、昭和四年に卒業された惣津律士氏の写真アルバムが、このほどご遺族の惣津義雄氏から当編集室に寄贈されました。
 アルバムは黒いクロス張りを施され、五十三点の写真が収められています。表紙には「思ひで」の文字と、ドクロの絵とともに算用数字で二五八九との皇紀が銀文字で記されています。アルバムに貼られた写真の裏側には、惣津氏の自筆で簡略な説明が付してあり、写真の内容を知る貴重な情報源となっています。
 広高は旧制高等学校(以下、旧制高校)のひとつとして大正十二年に創設されました。旧制高校といえば、明治期に設置された校名に番号の付いた高校、いわゆるナンバースクールが有名ですが、広高は大正期に大幅に増設された高校の一つで、姫路と並び最も遅い時期に新設された官立高校でした。
 旧制高校は、現在の高校とは異なり、男子のための高等教育機関でした。学生も社会も旧制高校をエリート教育機関と意識していました。
 修業年限は、尋常科四年、高等科三年の七年制が原則でしたが、尋常科を設けた学校は稀で、広高も三年の高等科を置くのみでした。高等科入学者の年齢は、現在でいえば高校三年生前後に相当していました。
 旧制高校は高等教育機関とはいえ、実質的には大学の予備門として機能していました。広高の卒業生を見ても東京・京都の両帝大への進学者が圧倒的でした。広高は新設校にもかかわらず大学への入学率が高く、当時の受験雑誌を見ても評判は良かったようです。
 広高が第一回の入学生を迎えたのは設置の翌年で、昭和四年に卒業した惣津氏は第三回の入学生にあたります。学年進行にともない全学級が完成した年の入学生です。まだ創設から歴史が浅いためなのか、アルバムの写真には旧制高校独特の、いかにも蛮カラな雰囲気のものはありません。後に「穏和で学究的・紳士的」とも評された広高生のルーツを垣間見るようです。
 アルバムにはこの他、惣津氏の在籍していた理科乙類(ドイツ語を第一外国語とする類)に関わる教授たちの顔写真や、当時本格化した軍事教練の写真などが収められています。広高草創期の光景を切り取った、貴重な写真資料です。

(小宮山道夫)



図書室

化学実験室

中島一郎教授によるドイツ語講義


NEWS
 ■調査・研究活動■
◇北西允名誉教授(法)の聞き取り調査を実施(4/26)。
◇全国大学史資料協議会西日本部会2002年度総会・第1回研究会出席(5/31)。

 ■編集作業■
◇第27回50年史編集専門委員会幹事会開催(5/14)。
◇第28回50年史編集専門委員会幹事会開催(6/12)。

 ■資料の収集・受入■
◇谷本忠明氏(教育)より『広島大学蔵書目録』ほか14点を受贈(5/31)。
◇惣津義雄氏より広島高等学校の卒業アルバムを受贈(6/5)。

 ■行政文書の保存活動■
◇学生部廃棄予定行政文書の選別を実施(4/15〜22)。
◇工学部行政文書の保存状況を確認(4/22)。
◇教育学部廃棄予定行政文書の選別を実施(4/23)。

 ■レファレンス■
◇附属小児童保護者より旧理学部1号館について照会(3/12)。
◇本学卒業生より森戸辰男関連文献について照会(3/15)。
◇高橋照男氏(岡山大学名誉教授)が本学前身校校舎の保存状況について調査のため来室(3/10)。
◇広島ゴルフクラブより終戦頃の水畜産学部実習農場の名称について照会(5/17)。
◇大分合同新聞社が、広島高等工業学校に関する取材で来室(6/4)



〈連絡先〉50年史編集室 電話0824(24)6050 FAX 0824(24)6049


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