PHOTO ESSAY -64- メダカと遺伝子科学 |
---|
メダカ |
---|
Medaka |
文 写真・山下 一郎
(YAMASHITA, Ichiro)遺伝子実験施設施設長 |
俗にメダカという名称は、貝原益軒の「大和本草」(1709年)に「目高」とあるように、すでに江戸時代には使われていたようです。体が小さい割には大きい目を持ち、しかも顔から目が飛び出ている魚の特徴を良く表した呼び名です。メダカを意味する方言は多く、4,794もあったそうです。かつては、いかにメダカが庶民に親しまれていたかが判ります。ウルメ(青森)、ギンメ(群馬)、タカメンチン(鹿児島)などは目(メ)の特徴を指し、コメンコ(静岡)、コメエト(岡山)、マメンジャコ(大阪)などは体が小さいところからそう呼ばれていたのでしょう。戦前の新潟地方では、メダカを食用にしていたという報告があります。広大な田んぼで稲作を行うこの地方ではメダカがたくさん取れたのでしょう。ざっとゆで上げた後、味りん、しょう油、砂糖などで味付けをして「つくだ煮」風に煮込む。土製の瓶類に入れて保存し、必要に応じて副食物としていました。現在も食用のほか、薬として眼の病気や乳腺炎に効くと言われています。 メダカはアジア特産の淡水魚で、東南アジアを中心に西はインド、パキスタンからタイ、マレーシア、フィリピン、朝鮮、日本まで広く各地に分布しています。メダカの学名Oryziasは稲の学名Oryzaに由来します。メダカが水田に多く見られたことが、稲の学名を名に冠することになった理由と思われますが、現在では郊外の水田にメダカを見つけることがなくなりました。ニホンメダカの学名Oryzias latipesは、1906年(明治39年)に命名されました。アジア各地に住むメダカの交雑実験では、オスがメスを追いかけたりメスの周りを泳いだりした後、産卵行動をとる場合が多いのですが、生まれた卵はほとんど孵化しません。染色体の研究から約200万年前に分岐し、アジア各地で独自の進化を遂げたと推測されています。 わが国におけるメダカの産地は奈良県大和郡山市と愛知県弥富町で、他の観賞魚とともに養殖されています。野生のメダカは体色が黒色ですが、市販のメダカはこれの変異種で体色が緋色(オレンジ)のヒメダカが主です。他に、白メダカや青メダカなども売られています。私の研究室では、オスが緋色でメスが白になる特別なメダカを用いて、環境ホルモンの影響を調べています。このメダカを使うと、オスメダカが環境ホルモンでメス化し産卵してしまう仕組みを研究するのに都合がよいのです。これまであまり人の役に立つことのなかったメダカですが、最近では、変異メダカの染色体地図を利用して遺伝子を取得したり、遺伝子を任意に組換えたメダカを作成することができるようになり、脊椎動物のモデルとして生物学のいろんな分野で強力な武器となっています。 遺伝子実験施設のホームページ: http://home.hiroshima-u.ac.jp/cgswww/ |