五十年史編集室だより(18)

広島高等師範学校創立百周年



50年史編集室ホームページ http://home.hiroshima-u.ac.jp/nenshi50/






開校当時の広島高師校舎(『追懐』より)
 明治三十五(一九〇二)年四月一日、広島市国泰寺村(現、中区東千田町)に広島高等師範学校(以下、広島高師)が設置されました。師範学校、中学校、高等女学校といった中等学校の教員養成を目的とする、東京高等師範学校に次ぐ第二番目の官立高等師範学校であり、東の東京高師とならんで、「教育の西の総本山」と呼ばれました。昭和四(一九二九)年四月一日に広島文理科大学が創設されると、広島高師は同大学に附置されました。昭和二十四年五月三十一日、広島大学の設置により広島高師は広大に包括されました。そして、昭和二十七年三月三十一日をもって広島高師は廃止され、半世紀にわたる歴史に幕を下ろしました。しかし、その伝統は教育学部をはじめとして現在の広島大学に脈々と受け継がれています。今年は広島高師創立百周年、廃止五十周年の記念すべき年にあたります。




北条時敬の胸像
(教育学部中庭に設置)


「入学式告諭演説条目」
(『明治卅六年北条校長訓辞演説綴』)



初代校長北条時敬と創立精神

 初代校長である北条時敬は、明治三十五年五月から大正二(一九一三)年五月まで本職を勤めました。
 北条校長は、生徒心得として(1)校規を遵守すべきこと(2)師長を尊敬すべきこと(3)身体を健全にし学業を励むべきこと(4)品行を修め廉恥を重んずべきこと(5)学友相信じ親睦切磋すべきこと、の五カ条を示しました。これは、「良教師の養成」を目指す北条精神として、長く広島高師の教育に受け継がれました。




(『永懐』より)

丁未音楽会

 明治四十年発足。同年の干支(丁未)にちなんで命名されました。広島高師では、全人教育の観点から音楽教育も重視されました。丁未音楽会は、明治末から戦後にかけて、広島の音楽興隆に大きな役割を果たしました。




出汐時代の広島高師・教育学部正門

乃美尾、出汐へ移転

 原爆被災のため、戦後一時期賀茂郡乃美尾村(現、黒瀬町乃美尾)に移転、その後、広島市出汐町の元陸軍被服廠を校舎としました。広島大学が設置されると教育学部もこの地に置かれ、「広島大学広島高等師範学校」「広島大学教育学部」の門標が正門の左右に掲げられました。


(菅 真城)


NEWS
 ■編集作業■
◇第29回50年史編集専門委員会幹事会開催(7/4)。

 ■資料の収集・受入■
◇柴川敏之氏(相撲部副監督)より相撲部関係資料を受贈(7/4)。
◇小山清氏(元附属中・高副校長)より『広島高等師範学校附属中学校一覧』ほか3点を受贈(7/15)。

 ■レファレンス■
◇『広大フォーラム』No.369 掲載の大学歌制定に関して、歌詞入選者の遺族から情報提供(7/4)。
◇中国新聞社より広島県における戦後の大学創設構想について照会(7/15)。
◇卒業30周年祝賀会でスライド使用する写真を貸出(7/19)。
◇皇至道元学長の略歴について照会(8/5)。
◇広島高等工業学校の校名について、卒業生遺族より照会(8/6)。


〈連絡先〉50年史編集室 電話0824(24)6050 FAX 0824(24)6049


広大フォーラム34期3号 目次に戻る