二〇〇一年九月から十ヶ月間、私はブリテン島のちょうど真ん中あたりに位置する、北イングランド、リーズのリーズ・メトロポリタン大学文化学部(スクール・オブ・カルチャラルスタディーズ)人文学・社会学学科(ヒューマニティーズ・アンド・ソーシャルスタディーズ)で交換留学生として学んできました。
もともと、猪突猛進のくせに小心者で落ち込みやすい厄介な性格のため、はじめの数ヶ月間は典型的なカルチャーショックに悩まされました。学校の授業というよりも、生活面です。現地学生との共同生活…よく聞かれることではありますが、言葉の壁に加えて価値観の違いが思ったより大きかったのです。学生寮に住むほとんどが、初めて親元を離れた大学生活にうきうきしている新入生。一方、私は大学生活の「遊び」の部分は充分果たして今までにないほどの(?)「頑張るぞモード」の四年生。単に国、文化の違いではありません。「帰宅して落ち着く場所」「夜邪魔されずに安心して眠れる場所」がないことは思ったより精神的ダメージを与えていたらしく、後に静かな寮に引っ越した後、「生活の基礎が落ち着くとこんなにも気持ちが前向きになるのか!」と驚きました。
授業は、基礎知識も少ない上にいきなり現地学生に囲まれた不安もあったので、ついていくことに必死ではありましたが、新鮮さを感じ意欲的に勉強できました。もちろん、言葉のコンプレックスはいつも感じていました。大量の予習に苦しみ、ディスカッションや発言もタイミングを逃してばかりいました。うまくいかないことの全てが自分の語学力のせいだとさえ考えていました。頭ではわかっていたのです、「完璧を目指そうとするからしんどいんよね…」と。友人達にも繰り返し言われたものです。「上ばっかり見てて、ひっくり返りそうよ」「何を焦っているの?」「亜紀は亜紀でしょ」…。自分で自分の首をしめていました。生活面、学業面、全てにおいて、前半は真っ暗闇の中を這っているような状態でした。「でも今帰ったら恥ずかしい、みんなに見せる顔がない…」といじいじ悩み、時間はゆっくりとしか進みませんでした。
泣きながら、しかしある意味私は世界で一番の幸せものかもしれないと思っていました。まわりから、遠く離れた日本からも、応援してくれている人達のあったかい気持ちを感じることができたからです。
楽しくない、苦しい…というわけで、「とりあえず思いつくやりたいことをやってみよう」。ダンス教室、ボランティア活動、教会の聖歌隊などに顔を出しました。暇を見つけては近場をうろうろ探検し、小さな発見を楽しみました。大学のウォーキングクラブに参加したことで、イギリスの自然を文字通り自分の足で感じることもできました。もっと色んな所を見たい、と旅行もできるだけたくさんしました。といってもお金もないので極寒のキャンプ場で寝袋で寝るというような旅ではありましたが…。しかも年末の旅では乗っていたミニバスが凍結した道で横転。正月を病院で(しかも外国で!)過ごすことになった私は自分の運の悪さをとことん呪いました。
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最後の一ヶ月は、帰りたいような、けど帰りたくないようなという微妙な気持ちでした。日本を離れたことで世界の中の日本、自分、知らない日本、知らなかった世界、今まで持っていたけれど壊された価値観、フットワークの軽さ…そのような「収穫」をもっと味わっていたくなったからです。しかし、最近は、それは「無知の知」であっただけではないだろうかと考えるのです。つまり、たった一年足らずの留学で「世界を見た!」などと豪語することなんて到底できません。「ね、世界は、日本は、広いね、わからないこと面白いことが山ほどあるね」とポンと背中を押されたような気分。課題が増えました。これからこれから、っていう感じです。