特集

  UI(ユニバシティー・アイデンティティ)とは何か


文・頼 祺一

(RAI, Kiichi)
大学院文学研究科教授

 21世紀の到来を前にした一九九五年、「広島大学の理念」五原則が定められ、その第一原則に「平和を希求する精神」が掲げられました。私は、これこそ我が広島大学のユニバーシティ・アイデンティティだと確信しています。
 広島と福山の地を離れ、東広島の地に大半の部局の統合移転を終えた時点で、なおもこれを理念の第一に掲げたことは、私たちの先輩方が、過去の歴史的反省の上に築いてこられた、「ヒロシマ」をけっして忘れない「広島大学」として、21世紀も歩んでゆきます、という大学構成員の固い意志を内外に表明したことなのです。
 この理念の制定にあたっては、新制広島大学の歴史がふりかえられ、とくに森戸辰男初代学長の大学の将来構想が踏まえられています。森戸先生は、学長就任後の1950年11月5日に挙行された開学式の式辞において、変革期における日本の大学の課題を指摘するとともに、今後の広島大学の使命と学長としての抱負を述べておられます。そこで「自由で平和な『一つの大学』」の実現をめざすという決意が示されたのです。
 森戸先生は、翌1951年の創立記念日に開かれた学術講演会の場で、かねてから暖め、すでに部分的には実現の基礎固めをしてきた、本学の将来構想を明らかにされました。それは、(一)広島大学を中国・四国地方の中心大学にすること、(二)広島大学を地域性のある大学にすること、(三)広島大学を国際性のある大学にすること、の三つでした。このような将来構想をたてられた理由についての詳細を述べる紙幅はありませんが、私は、先生が身をもって体験された敗戦までの大日本帝国の現実を踏まえ、戦後の新生日本のあるべき姿を熟慮されたうえで、郷土広島の新制(新生)広島大学において、理想の一端を実現したいとの決意と覚悟が、この構想の根底にあると思っています。この構想をまとめる理念が、「自由で平和な『一つの大学』」であり、多くの関係者の共感と賛同を得たからこそ、森戸学長の強いリーダーシップのもと、教職員・学生・附属学校生徒はもとより、広島大学の母体となった包括諸学校の卒業生・同窓会や保護者、地元自治体、広島市民・県民、海外移民、文部省・国をあげての協力のもと、その実現がめざされたのです。
官舎の庭で学生と集う森戸学長
(前から2列目、右から2人目)
 森戸学長の将来構想のなにが実現し、なにが実現しなかったかは、その後の広島大学・高等教育界、社会・国家の情勢、さらには国際社会における日本の地位の変化との関わりで歴史的に検証しなければなりません。あれから半世紀の間に、広島大学も大きく変貌をとげています。しかし理想や理念は、よほどのことがない限り変えるものではありません。
 現在の「理念」には「自由」はうたわれていません。将来とも「自由」をうたわなくても良いように努力しなければなりません。他の四つの原則のうち「新たなる知の創造」「豊かな人間性を培う教育」「絶えざる自己変革」は、大学の責務として当然のことです。もう一つの「地域社会・国際社会との共存」は、広島大学の歴史をふりかえるとき、大きな意味を持っています。現在の我々だけでなく、将来とも守らなければならないことです。これら四つの原則は、すべて第一原則「平和を希求する精神」に収斂される、と私は思います。それゆえに今後ともこれをユニバーシティ・アイデンティティとして堅持していただきたいのです。
 ただ大切なのは、その「精神」を大学として「作興」(古い言葉ですが、森戸先生も使われています)し、実践してゆくことではないでしょうか。森戸先生は前述の式辞を次のように結んでおられます。

 この光栄ある開学式を機に、われわれ学園構成者は、一段の自信と勇気を加えて、自由で平和な「一つの大学」を実現し、全学の力を結集して、一路、変革期における大学の使命達成に前進する決意を新にいたすものであります。

 今はまさに歴史的「変革期」です。大学への期待が大きいだけに、この誇りうる理念にもとづき、「全学の力を結集」して、慎重かつ大胆に広島大学の輝かしい未来を築く布石を打つときだと思うのです。

プロフィール
1963年
1968年
1982年
1984年
1993年
2001年
 同



専門分野:
広島大学教育学部高等学校教育科(社会科専攻)卒業
同大学院文学研究科国史学専攻博士課程単位取得退学
文学博士
広島大学総合科学部教授
同文学部教授
同大学院文学研究科教授
同文学研究科長・文学部長
現在、50年史編集室室長

江戸時代(近世)の思想・文化の研究

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