ルビコンを渡った同窓会関東支部
〜人衆ければ、
 即ち狼を食らう〜 
文・中本 至

(NAKAMOTO, Itaru)
広島大学同窓会関東支部長
 (広島工業会関東支部長・
昭和31年土木科卒)



支部長就任あいさつ

左から、中本関東支部長、原田同窓会会長(前学長)、牟田学長
 去る七月十三日(日)に、東京の京王プラザホテルにおいて、来賓として牟田泰三学長、原田康夫同窓会会長(前学長)、山根恒弘副会長らの方々のご来席を戴き、盛況裡に設立総会、懇親会が行われましたが、ここに支部長として無常の喜びを感受し、心からお礼申し上げます。また、巾広い会員の皆様のご参加に敬意を払うものであります。
 また長期間にわたって、設立の準備に奔走された東善啓準備委員長以下の皆さん方のご努力に対し、感謝の念を捧げ、今後の運営の主力になって戴きたいと思います。
 私は広島大学工学部を卒業後、社会に出てから四十七年、これまでシーザー(カエサル)の「賽は投げられた」「ルビコンを渡る」「来た、見た、勝った」という名言を事あるごとに使い、極めて困難な物ごとを解決してきました。だから、今回の支部設立に当たっても、この名言どおり「ルビコンを渡って、もう後退できない。成功させるのみ」の心境で、同窓会関東支部を纏めようとの気持ちに駆られました。
 ただ今回、約八千二百名の同窓の方々にご案内申し上げましたが、「名簿からの削除希望」「案内が届いたのに、梨の礫」の方がかなり居られたことに、私をはじめ準備委員の方々も内心忸怩たるものがありました。
 私も支部長としての挨拶の一部で、ある会員の方の要望を引用して、牟田、原田両先生に「ノーベル賞受賞を広大関係から、また上位の大学ランク付け、さらには司法試験とか国家公務員試験などの合格者数の増大による広大の知名度向上」をお願い致しました。
 広島を離れた東京、大阪での会員は、同窓会出席のメリットの一つに、楽しい懇談の他に広島大学(旧高等学校等含めて)出身という宿命を「誇りを持って語り合う」ことに意義があると思います。
 三位一体(学校・卒業生及び在学生・同窓会)を基本路線に「人衆ければ、即ち狼を食らう」の意気込みで、この同窓会支部を盛り上げると共に、国立大学法人法成立による「国立大学サバイバル」に対しても協力を惜しまないのであります。
 本学・本部のご指導、ご鞭撻を切にお願い申し上げます。

プロフィール

1956年 建設省入省
1984年 建設省下水道部長
1993年 日本下水道事業団理事長
現在、環境資源研究所最高顧問

 

広島大学第21回生
卒業30周年記念祝賀会開催

文・原田 耕一

(HARADA, Koichi)
祝賀会実行委員会委員長
 総合科学部教授
 去る8月9日の14時より学士会館において第21回生(昭和48年3月、但し医学部、歯学部については昭和50年3月卒業生)の卒業30周年記念祝賀会を執り行いました。学長をはじめとして来賓7名、卒業生約80名が参加し、夏期休暇中の土曜日の静かな環境の中で盛大に記念式を挙行することが出来ました。まず、ご列席頂いた来賓の先生方、学士会館を使用するに当たりお世話になった総務部総務課、そして学内実行委員の先生方に実行委員長としてお礼申し上げます。
 前半の記念式では牟田学長に広島大学の現在と未来についてご講演を頂きました。30年ぶりに母校に寄り集った同窓生には貴重なお話だったと思います。次に、物故者への黙祷の後、記念撮影を行いました。前日に台風が通過し、不安定な天気でしたが、まさに記念撮影の間だけ雨が止むという幸運に恵まれ、サタケメモリアルホールの隣で参列者全員の記念写真を撮ることができました。その後の祝賀会では「蜂の巣をつついた」ような話の輪があちこちにでき、30年間の積もりつもった話は尽きないうちに時間切れとなりました。
 フォーラムで卒業30周年記念祝賀会のことが紹介されるのは初めてだそうなので、概要を書きます。10年前から、学内に勤務する広島大学卒業30周年を迎える者が中心となって「一生に一度」の全学的な同窓会を開催することが今や伝統となっております。今年は第21回生の順番というわけです。卒業生総数1, 900名余り、同窓会などを通じて住所が判明している者約半数に招待状を出しました。約20%から回答があり、最終的な参加者は80名程度というのが今年の結果でした。毎年似たような数字のようですが、30年後に一カ所に集まることの難しさを感じさせる数字です。来年は第22回生の順番ですが、一人でも多くの同窓生が参加されることを祈念致します。


広大フォーラム2003年10月号 目次に戻る