マレーシア科学大学
文・宇高 雄志
(UTAKA, Yushi)
大学院工学研究科
社会環境システム専攻助手
 ―我が国との交流の将来

私は、この十月まで北部マレーシアのペナン州のペナン島に立地するマレーシア科学大学(USM)に滞在し研究活動を行っていました。当地の大学の様子と、最近の広島大学との交流についてご報告したいと思います。


キャンパス内の大学博物館
 USMは、学生数二万一千人、二十四のスクールからなる総合大学で、今年で開学三十四年を迎えます。キャンパスは緩やかな丘陵地にあり、豊かな緑におおわれています。キャンパスにはモスクがそびえています。
 マレーシアの大学は、教育システムは英国のものに強い影響を受けており、シラバスも英国の流れにそっていてます。教育スタッフも、多くが英国への留学経験があります。80年代以降、マレーシアの大学では国語のマレー語で講義が行われてきましたが、近年ではグローバライゼーションの流れに対応して、英語を中心にした講義が検討されています。

ルックイースト政策と大学
 マレーシア政府は八〇年代からルックイースト政策を進めてきました。この政策は、東の国=我が国や大韓民国の社会開発に注目しようと進められたものです。英国への留学が主流のマレーシアでも、この政策によって、多くの留学生が我が国で学ぶことになりました。現在USMのスタッフの中にも、英語圏への留学者に比べると数の面では少ないですが、日本の大学の留学経験者が少なくありません。
 もっとも、最近の我が国の経済不況や、同国の英語を中心にした教育制度への再編を反映してか、以前ほどの熱烈な「日本ブーム」も沈静化しているといえます。しかしながら、より着実で実質的な交流プログラムが展開されています。
 USMでは、我が国との関係でも、日本学術振興会やJICAのプロジェクトに参加するスタッフも少なくありません。また最近ではUSMでマレー語を勉強する日本人留学生も少なくなく、例えば南山大学からはマレー語の短期留学生を毎年三十名近く受け入れています。言語センターには二名の日本人の語学教員も常駐しています。日本大使館の協賛で日本文化週間も行われています。私のような外国人研究者も多く、広大にとっても大学院生を中心にフィールドワークの拠点となっています。

マレーシアと日本:新しい交流のスタイル
 昨年九月、広大の工学部がアジアの複数国で実施している「国境を超えるエンジニアプロジェクト」の一環で、ペナンには研修生として、田中亮子さん(社会環境システム専攻)と垰野宏明さん(第三類化学工学課程)が(株)FMS・Audioに一か月間の工場研修に来ていました。そこでの体験と研修報告の機会として、USMで学生交流会が催されました。
 交流会とともに、ズルキフリ副学長(学長はマレーシア女王)と、広大からは佐々木工学研究科長と茂里名誉教授(当時・教授)、濱田助教授との会談が行われました。
 実はズルキフリ副学長の父上は、第二次大戦中に広島大学に留学し被爆した、アブドール・ラザク氏です。氏はマレーシアと日本の国際交流の上でのキーパーソンで、多くの留学生を送り、またマレーシアでの日本語教育をリードしてきました。
 さて、USM・広大の学生交流会ですが、広大生の、田中、垰野コンビの巧みなプレゼンテーションによって、「広島大学を訪問したい」、「日本人技術者がペナンで、そんなに多く働いていると思わなかった」とUSMサイドも興味深げでした。
 ペナンには、工業地帯が建設され、日本人の駐在員も数千人にのぼります。大学とこれらの産業、特に日系企業との連携はUSMの大学経営戦略上も重要課題であると、国際交流部長のノピサさんも述べます。今回のような交流の機会は、大学間の教育・研究的な交流のみならず、国際的な技術交流の面でも期待されています。


USM首脳と談笑する広大生の田中(左から2人目)、峠野(左端)の両氏

ズルキフリUSM副学長(左)と、佐々木工学研究科長(中央)、茂里名誉教授(当時・教授)



広大フォーラム2003年10月号 目次に戻る