競争もまた楽しからずや
|
|
文・山西 正道
( YAMANISHI, Masamichi )
大学院先端物質科学研究科教授
|
この度、第六十回中国文化賞を受賞いたしました。大変光栄なことであり、皆様のご支援のお陰と深く感謝しております。
受賞対象となった研究の発端は、一九八二年に生じました。同年三月の工学部の東広島への移転を契機として、新研究領域を切り開きたいとの思いでいたところ、七月六日の昼食中、半導体発光デバイスの抜本的な高速化の手段として、「半導体量子井戸構造に電場を加えたら」との考えが浮かびました。この電場による量子力学的な効果を理論的に検討し、その高速性とデバイス応用を強調した形で、十月に英文論文として日本の学術誌に投稿しました。ところが(その時点で、私には知り得なかった事ですが)、同様な電場効果の物理概念が(高速性には触れる事なく、また、デバイス応用を深く吟味することなく)議論されている別の論文が、私の論文投稿日より一ヶ月早く米国の学術誌に投稿されていました。それは、米国IBM研究所の江崎玲於奈博士(七三年ノーベル物理学賞受賞者)が率いるグループの論文でした。結局、両論文は独立な仕事として、別々の学術誌に掲載されましたが、このことから、自分の着想が重要な意味を持っているとの強い確信を得ました。すぐさま、この分野の爆発的な発展と研究グループ間の激しい競争が始まりました。電場効果の高速性の実証と超高速光非線形効果の提案で、それぞれ、ドイツ、マックス・プランク研究所および米国ベル研究所と競争になり、いずれの場合も我々が一歩先んずることができました。その後、科研費特別推進研究に採択され、八九年には、ゴールである高速発光デバイスを、(文句なしに)世界に先駆けて実現することに成功しました。こうした激しい潮流のなかでも、概念や研究手法の美しさを追求する努力は怠らなかったつもりで、その結果、基礎科学の展開にも繋がったものと自負しています。
国際的な研究活動に付き物の先取権争いは、楽しい思い出として残っていますが、その当時は「必死の思い」と言うのが、正直なところです。研究仲間や切磋琢磨し合った海外のライバルに感謝すると共に、研究に打ち込める環境を与えて頂いた広島大学に感謝いたします。
|