文・ハーラ・マハムード ( Hala Mahmoud Abd Elazim Mahmoud ) 教育学部日本語日本文化研修留学生 (エジプト出身) |
知らない、好きな絵を持ち帰って、部屋の壁に貼りました。時間がたって、二年生の終わり頃にやっと日本への留学の機会を得ることができました。留学先が広島と分かって、「日本へ行ける!」と喜びに満ち、一年前、壁に貼った絵を見て大変驚きました。その絵の下にはずっと前から「宮島、広島県」と書かれていたのです。私は全く気付いていませんでした。人生は不思議な旅ですね。 ここに来て、毎日新しいことを吸収しながら「留学ってなに」と学んでいます。 言葉、文化を学ぶだけでなく、人との出会いの大切さにも気が付きました。言葉や習慣などが違っていても、どうすればお互い理解できるのかもだんだん分かってきています。他人との交流が出来るようにがんばりながら、自分の世界が広がっていき、私がどんな人間なのかを分かってきたような気がします。留学してさまざまな文化、違う考え方、違った見方に会って、留学のすばらしさを味わうことが出来ました。 遠い国から来たので、きっとずいぶん違う文化に出会うのだろうと思っていたのですが、意外とそんなに違わないと私は思いました。日本の文化や風潮などを外から見れば、自分の国との違いの幅が広いと思われるかもしれないですが、ちょっと深くのぞいてみると同じことの多さにすぐ気が付きます。私は日本に五ヶ月しか暮らしていないので、まだ違う点に気付いていないのかもしれませんが。 ところで、今まで最も違っていて面白かったことはぶどうの食べ方です。日本人の友達に私がぶどうを食べているところを見られた時のことです。彼らはすごく驚いた顔をしていました。彼らに聞くと、日本人はふどうの皮はむいて食べると言いました。エジプトではぶどうは皮ごと食べるのが普通なのです。 他に、素晴らしいと思っているのは、大学生のほとんど全員がアルバイトをしていることです。親に迷惑をかけたくない上に、自立心を付けたいというきもちで学生達は働いています。又、大学や短大に進学する女性はますます増えています。中には、一人暮らしをしたいために進学する女性もいるほどです。日本では高校を卒業したら、一人暮らしをするのは当然のことでしょう。しかし、エジプトではそれは想像できません。子供は大人になり、学校を卒業し、仕事を見つけて自活できるまで家族と一緒に住みます。どうしてもアルバイトをやりたいと思う人でも「こんな安い給料なのにそんなに長い時間激しい仕事をするなんて無駄だ」と思ってすぐに諦める人がほとんどです。つまり、学生に向いているアルバイトはありません。 日本に来ていろいろな人に会いましたが、自己紹介をすると「エジプト!!ああ。ピラミッドね」と「暑い砂漠ですね」という返答ばかりに会いました。もっとショックだったのは、日本人の大学生と一緒に地下鉄に乗ったとき「エジプトに地下鉄なんかないよね」と聞かれて、私は「うん、向こうからラクダに乗って、海を渡ってここまで来ました」と答えたほどガッカリしました。しかし、日本で暮らしながら「なぜ日本人はエジプトについてあんなイメージを持っているのか」と言う謎の解決に少し近付いてきました。これは多分、日本とエジプトのマスコミに原因があるかもしれません。 エジプトについて放送される番組には、ピラミッドの周りの砂漠でラクダに乗っているおじいさんの写真しか出て来ないのですね。けれども、ここで言いたいのは、あそこは外国人だけでなく、エジプト人にとっても、昔のままの様子を守ってきた観光地域の一つであるということです。もちろんエジプトは砂漠が広いけれど、ほとんどの国民はナイル川に沿った場所で暮らしています。そして最近では、その広い砂漠が美しい緑であふれるようにナイルの水がそこまで届くように運河が切り開かれています。 日本に来る前は大勢の人に「日本人は機械のように働く働き蜂で、がんばりやさんだ。しかし、無感情だ」と警告されました。一方、ここに住んでいるエジプト人に「日本人ってどう思う?」と聞くと、「一言で言えば素晴らしい道徳をもっている人間だ」というのが全員の答えでした。私も日本人の優しさや思いやりを日本での最初の一秒で感じました。大阪空港で広島までの行き方に少し迷ってしまい、人通りの中で聞いた時、人々の反応に非常に感動しました。一番わかりやすい行き方を説明した上に、連れて行ってくれたのです。こんなに親切で心配りのできる日本人が無表情なんて言われるのはどうしてでしょうか。それはただの決まり文句だと思います。異文化間で、両方の無知と、固定した見方で眺めてしまった結果、お互いの理解は進むどころか、かえって誤解が生じてしまったのです。「日本人はこうだ」「エジプト人はこうだ」と無意識な考えで判断する前に、お互いにありのままの自分を見せ合い、実際に確認し合えばいいでしょう。何よりも大切なのは、一人一人のユニークさに目を向け、その人を一個人として眺めることだと思います。
( 原文・日本語) |