あるべき大学生の姿は、知的好奇心旺盛で、自ら知識の幅を広げ、教養をつけようとすることでしょう。そのヒントとして、学長・学部長・研究科長が新入生に読んでもらいたい本のうち、現在入手しやすい本を、ご自分の専門にとらわれず一冊だけおすすめいただきました。

『アンナ・カレーニナ』
  トルストイ(新潮文庫)

 新入生のみなさんと同じ年頃には、手当たり次第にいろいろな本を読んでいましたが、私が一番心を動かされたのは、トルストイではなかったかと思います。ロシア文学は重厚で長編ものが多く、読破するのに少々の時間が必要です。トルストイのこの作品もその典型でしょう。しかし、青春の一時期に、じっくり時間をかけて読む本を持つのもいいことだと思います。「アンナ・カレーニナ」は、そのストーリーの面白さや描写の精緻さにおいて、私の目を捉えた一冊でした。こんな恋愛小説を、新入生のみなさんにすすめるのもちょっと気が引けますが、この小説を単なる恋愛小説として捉えるのではなく、資本主義が広がり始めた近世から近代への変わり目に現れた社会小説と考えて読んでみるのも重要ではないでしょうか。『アンナ・カレーニナ』では、アンナとヴロンスキーの破滅的で激しい恋愛を縦糸としながら、キティとレーヴィンの清らかな恋愛を絡ませ、レーヴィンの口を借りてトルストイの思想が語られ、時代背景となる社会の動きが壮大に描かれています。

(広島大学長 牟田 泰三)


『ビーグル号航海記』
  チャールズ・ダーウィン(岩波文庫)

 一八三一年十二月、大学を卒業したばかりのチャールズ・ダーウィンは、数百トンの木造帆船ビーグル号でプリマスを出帆し、五年間におよぶ世界一周調査旅行の途につきました。この航海における観察、特に南米エクアドルのガラパゴス諸島で島々により生物がごくわずかずつ異なることを発見したことが、生物進化についての着想の端緒となりました。大発見を導き出したのは、ダーウィンの飽くことなき好奇心、鋭い観察眼、さまざまの知見を統合して現象の根元に迫る姿勢でした。このような姿勢は、分野のいかんを問わず学問を志す者に求められるものです。

(総合科学部長 堀越 孝雄)


『学徒出陣五十年』
  山下 肇(岩波ブックレットNo. 317)

 昭和期を「からくりの虚構の時代」と捉える「戦中派」の著者が、いわゆる「学徒出陣」から半世紀を経た一九九三年、次代をになう若者たちに、過去の歴史に学び、真実の道を歩んでほしいと体験的に訴えかけた書です。
 著者は平和憲法の意義と戦争責任の問題を明確に述べ、「生への畏敬の倫理」(シュヴァイツァー)をふまえ、個人の倫理のみならず、国民・国家の倫理を確立し、国際社会での「名誉ある地位を占め」よう、と訴えています。

 (文学部長・大学院文学研究科長 頼 祺一)


『学力低下論争』
  市川伸一(ちくま新書)

 日本では平成十年頃から、「学力が低下した」「していない」という論争が活発に展開され、これに各階各層の多くの人々が関わり、込み入った様相を呈しています。本書はこの論争の全体像を描くとともに、誰と誰とがどの点で対立し、どこに問題があるか等を示したものです。著者は折衷的立場であり、我田引水的な論を批判し、データに基づいた教育論議の重要性を訴えている点やそれぞれの立場の長所・短所がよく分かる点が面白いと思います。

(教育学部長・大学院教育学研究科長 中原 忠男)


『謎とき「罪と罰」』
  江川 卓(新潮選書)

 私は、「ロシア文学を読んでいる自分が素敵!」と感じていたのでしょう、高校生の時には、ツルゲーネフだとか、トルストイだとかの作品を好みました。大学生になってからは、その好みは幾分少なくなりましたが、それでも、ドフトエフスキーの『罪と罰』だけは離しませんでした。この作品は、どの年齢になっても新しい読み方ができます。江川卓の本は、『罪と罰』の思いもよらぬ解読法を示しており、驚かされます。驚きの理由? それは、読んでからのお楽しみ!

(法学部長・大学院社会科学研究科長 阪本昌成)


『魔の山』
  トーマス・マン(新潮文庫)

 一人の青年の精神的遍歴を克明に描いた大作というのでしょうか? つきつめれば単なる有機体にすぎない人間の肉体や生あるいは死とは何か、さらにはその有機体としての人間から生み出される精神や認識とは何か、最初からキチンと読み進むのは至難の業ですが、そのときどきに偶然パラリと開いた一ページを目安に挑戦してみてください。もちろん豊富な自由時間にまかせてその先を読み進めるのはみなさんのご自由です。

(経済学部長 阪口 要)


『生命と自由』
  渡辺 慧(岩波新書)

 生命とは何でしょうか。現代科学は生命現象を物理と化学の反応であるとみなして、その順序を決めているプログラムは遺伝子(DNA)の中に記載してあると考えます。今や、ヒトの遺伝子の化学的全貌が明らかになろうとしていますが、冒頭の問いは色褪せていません。この本はそのような問いに理論物理学と情報科学を専門とする渡辺慧氏が答えたものです。著者の生命観は現代においても新鮮です。

(理学部長・大学院理学研究科長 吉里 勝利)


『がん遺伝子の発見 ―がん解明の同時代史』
  黒木登志夫(中公新書)

 がんが遺伝子の病気であることはよく知られる様になりましたが、これは一九八〇年頃からの先人の飽くなき探求心の成果に他なりません。この本は、日本のがん研究の第一人者のひとりである著者が、がんとは何かを分かりやすく解説しているだけでなく、がん研究の推進役となった研究者と、その偉大な発見のエピソードを紹介している点に特徴があります。誰もが、生命の不思議に触れる事のできる一冊です。

(医学部長 井内 康輝)


『私の脳科学講義』
  利根川 進(岩波新書)

 先生がこれまでに歩んでこられた道と、専門である記憶と学習に関する分子生物学的研究の仕組みが描かれています。さらに興味深いのが、大学を卒業後、現在の「マサチューセッツ工科大学」に至るまでの歩みです。人生の岐路において、深い洞察を駆使して、自らの目標に最適な道を模索してきた過程が述べられています。みなさんの人生における岐路選択に大いに参考になると思います。自らの一生に値する目標を明確にし、確固たる戦術を持って邁進することが輝かしい成功につながるものと確信します。

(歯学部長 丹根 一夫)


『イギリス式人生』
  黒岩 徹(岩波新書)

 著者は毎日新聞の海外特派員としてイギリス滞在十五年の間に、イギリスの生活に溶け込んで自らの目で確認したことを著しています。
 イギリス人はシャイなところなど日本人にやや似ていますが、かって大英帝国として世界に君臨したことなどスケールの違うものを感じます。人間そのもの、社会システムなどあらゆるものが日本のそれと対局にあります。日本型システムと対比して考察する契機となればと願っています。

(工学部長・大学院工学研究科長 佐々木 博司)


『サイエンス・ナウ』
  立花 隆(朝日文庫)

 この本は、ミクロの世界から宇宙の果てまで日本の自然科学分野における最先端の研究を紹介しています。筆者は研究の現場で研究者から話を聞き、図や写真を使って初心者用に易しく報告しています。ノーベル賞を受賞した小柴博士のニュートリノ天文台、極限に挑む世界一の深海潜水船、バイオ産業で期待される好アルカリ菌、生理現象の分子レベルでの研究などが臨場感あふれる文章で紹介されており、読み物としても楽しめる一冊です。

(生物生産学部長・大学院生物圏科学研究科長 山本 義雄)


『動物のお医者さん』
  佐々木倫子(白泉社)

 大学は教育だけでなく研究を行う場所であるというのが高校との大きな違いでしょう。そのことは、「研究室」を覗いてみれば一目瞭然です。この漫画はH大学獣医学部が舞台になっており、新入生の視点で観察した大学研究室の教授達や大学院生・学生の動きが生き生きと描写されています。しっかりした考えをもつ学生と優秀な大学院生に囲まれた変な教授「漆原教授」をうらやましく思っているのは私だけではないはずです。

(大学院先端物質科学研究科長 遠藤 一太)


『楢山節考』
  深沢七郎(新潮文庫)

 「姥捨て」としてわずかに人々の記憶の隅にあった棄老伝説を正面きって取り上げたこの作品は、戦後の日本人に老いと死について強烈な問題提起を行っています。「楢山病院」と噂される老人病院があちこちに存在している現代においても「楢山」は形をかえて生き残っています。親を捨てざるを得ない苦悩、すすんで捨てられていく姿を通して、一見「平和」な時代にいかに生き、いかに死ぬかという問題を現代の日本人に提起した著作です。

(大学院保健学研究科長 村上 恒二)


『生命の意味論』
  多田富雄(新潮社)

 ヒトゲノムの解読がほぼ終わり、生命科学は新しい局面を迎えようとしています。この時期に「生命の意味論」を読むことを勧めます。この本からゲノム(遺伝子)や生命の不思議さや巧妙さ、六十兆個の細胞を一つの個体として制御する免疫系の素晴らしい仕組みなどを読み取れば、人の尊厳性と存在性の価値を理解することができるでしょう。文系・理系を問わず、豊かな人間性を涵養するための必読の本といえます。

(大学院医歯薬学総合研究科長 大濱 紘三)


『海の帝国 ―アジアをどう考えるか』
  白石 隆(中公新書)

 アジアを海で結ばれた外に広がる交易ネットワーク(有機的システム)として捉え、そのシステムが歴史的に生成、変容するとの観点からアジアを考察しています。アジアの中心が英国であった頃のラッフルズ卿が構想した地域秩序とは、また戦後のアメリカが形成した新秩序(ヘゲモニー(構造的優位))とは、さらに世界秩序が変貌しつつある今、日本がアジアにおいてこれからどのような位置を占めるべきか、筆者の立体的史観に基づく考察は興味深く示唆に富んでいます。

(大学院国際協力研究科長 齊藤 公男)


※「おすすめの一冊」で紹介された本を集めたコーナーが、図書館(中央図書館、西図書館)及び生協(北一コープショップ、西二コープショップ、千田コープショップ、霞コープショップ)に設けてあります。


広大フォーラム2003年4月号 目次に戻る