広島大学医学部
 医学資料館を参観して 
文・狩野 充徳
( KANOU, Mitsunori)
大学院文学研究科
中国文学思想文化学講座教授

 医学部での研修を終えた昨年十月下旬以降、これまでに何回か医学資料館を参観しました。以下、参観の感想や気付きを少し書きます。
 何と言っても第一に喫驚したのは、文化二年(1805)十月(吉川弘文館『日本史総合年表』による)、世界で初めて麻酔手術に成功したという、紀州の華岡青洲の書額が展示されていたことです。それは、筆鋒鋭き草書で「欲療疾苦、當其内外、方無古今、唯在致其知」(以下、句読点は私に附す)と書かれています(別置の真物を拝見する眼福も得ました)。この資料館が昭和53年(1978)に国立大学の資料館として初めて設置された際、札幌在住の子孫で、小児科医の本家華岡氏より我が医学部麻酔科学の盛生倫夫教授(当時)を介して寄贈された旨の説明がありました。
 この書額の左には、正坐する青洲の肖像とその題詩「竹屋蕭然鳥雀喧、風光自適臥寒村、……」をもつ、有名な画額も展示されていました。
 今から七年余り前の平成九年三月中旬、筆者は和歌山県那賀郡那賀町を訪れて、役場にある青洲の像及びそこに勒された「活物窮理」を見、その後教育委員会の伊藤真輝氏のご案内で、この地の出身である女子学生と共に妹背家本陣跡、青洲顕彰公園、青洲の墓地、「華岡家発祥之地」にある春林軒という医学塾跡等々の遺跡を見て回ったことがありました。その際、青洲の資料は札幌在住の青洲の後裔にして医師である華岡氏の所に保管されているという話を、伊藤氏から拝聴したことを記憶しています。その青洲の書が、まさかこのような身近な所に蔵されていようとは夢想だにしませんでした。灯台もと暗しと言いましょうか、何という奇しき縁なのでしょうか。
 以上の外に、青洲の麻酔手術の記録である『乳巖治験録』のパネルも展示されていました。これで思い出すのは、紀州那賀町訪問の二箇月後の五月中旬、天理大学で線装本の原本を閲覧させて頂いたことです。その原本に綴り誤り、所謂錯簡があったことを今も覚えています。このパネルは、その天理大学所蔵の原本を写真にしたものです。今改めて見てみると、老女の乳癌摘出手術当時の生々しい様子を髣髴させるものがあります。
 贅言ながら、上記の書額や「活物窮理」の意味は、呉市出身で東京帝国大学医科大学教授であった呉秀三(1865〜1932)の著『華岡青洲先生及其外科』(京都思文閣、昭和26年、もと大正12年)を御参照下さい。また、青洲の麻酔手術前後のことは、有吉佐和子の小説『華岡青洲の妻』(新潮文庫)にも描写されています。
 次に明治42年(1909)獎進會謹撰の「醫箴」を読んでみました。ここには、今でも通用する、名誉欲の戒め、患者に対する仁者的態度等の医師に対する厳しい自覚の要求が看取できます 。
 その外に、明治・大正・昭和と三代に亘って、広島医学に多大な貢献を為した富士川游(1865〜1940)や呉秀三を始めとする著名な医師の資料や、江戸期・明治期の医学書・薬学書などもかなり豊富に展示されています。それらを瞥見しただけでも、なかなか楽しく面白かったのですが、ここには述べる紙幅がありません。ただ、富士川游が染筆した「桃李華于幽谷、不期人之觀之、性之自然者也。戊辰春日 録唐人語、富士川子長」の説明の翻字についてのみ、一言述べておきます。その翻字が「于」を「干」に誤り、「之」を全部「し」(平仮名の「し」は「之」の草書体に由来するとは言え)に誤っているのは、早急な訂正を要します。これでは意味が通じないし、人を誤らしむること浅からず、権威ある資料館のいわば鼎の軽重が問われるというものです。その外にも漢字や訓読の誤りが少なからず見受けられたのは残念でした。なお、「唐人の語」は、恐らく僻典ではないでしょうが、怠惰にして未だ典拠を調べていません。
 「広大フォーラム」32期1号(2000.6.1、第358号)に掲載された「新しくなった医学資料館一般公開!―医学の歴史に触れてみませんか―」の文中で、執筆者の医学資料館館長片岡勝子医学部教授は「医師や医学研究者のみならず、多くの人たちにも利用されるよう念願している。」と書かれています。医師や医学生にとって過去の医学を振り返って見ることは、決して無意義なことではありません。「医学史」という学問分野があるというのは、そこに意味がある、価値があるからこそ存在し、成立しているのです。今の医学があるのは、これまでの医学があった、その基礎の上に成立、発展しているのであって、勝海舟が佐久間象山著の『省 録』に冠した「序」の主旨の如く、過去の医学の賜でもあると言えましょう。
 一方、医学関係者以外の、広島大学の教職員、院生・学生、また学外の一般人にとっても、この入館無料の資料館を参観することは、それぞれに意義のあることでしょう。
 土日・祝日が閉館で参観しづらいのですが、参観者の陸続たる出現を冀 って、擱筆とします。


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