1000字の世界
24歳のシャツ
文・本山和寿(Motoyama, Kazutoshi)
学校教育研究科美術教育専攻
日曜の朝玄関のチャイムが激しく鳴った。私はベッドからもそも
そと動きだし、やっとのことでドアを開けた。すでに配達員の姿はなく、代わりに
まるで捨て子のように段ボールの箱が置かれていた。実家からやって来たその子は
、まだ眠たそうな私に「明日はあなたの誕生日でしょ」と優しく教えてくれた。
私は届いたばかりの荷物を解き、中から白いシャツを取りだした。コットンのシ
ャツに腕を通して、ボタンをひとつずつ確かめるように止めていく。両手を広げて
みると幾らかだぶついている。しばらく帰らないうちに、母の中の私はまた成長し
たのかもしれない。
「熊本みかん」と印刷されているその箱の中にはシャツの他に、母からの手紙と
、林檎りんごジュース、レトルト食品、ミルクキャンディー、そしてコアラ
のマーチが入っていた。
今年九十歳になる祖母は、夢の中でよく私を四、五歳だと勘違いするらしい。目
が覚めてからも幼いままの私のことを考え、しばらくしてからふと「あの子はもう
大学生だった」と気付くのだそうだ。母はそんな祖母の話を聞いて「ぼけちゃった
かしら」と笑っている。しかし母は母で、二十歳を超えた私の誕生日に決まってコ
アラのマーチを送ってくる。
私はコアラのマーチを頬張りながら、母からの手紙に目を通した。母の手紙には
近頃英語が混じってきている。訳を聞けば父の定年を待って海外旅行を計画してい
るとのこと。母はそのアメリカかぶれの芸人のような手紙を
それでは最後になりましたが
あらためて二十四歳の誕生日おめでとう
あなたが親以上の人物になってくれて
happyです
それではgood-by
と締めくくっていた。
親の想いというものは、子供にとってはサイズの合わないシャツのようなもので
、時として大きすぎたり、時として窮屈だったりする。まだ伸びざかりの頃はそん
な服を着せられるのが嫌で、いたるところに脱ぎ散らかしていた。
私も明日で二十四歳になる。そう想いながらあらためて真っ白なシャツに目をや
った。静かな部屋の中、だぶついたシャツがゆりかごのようにあたたかく感じられ
た。
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