自著を語る
Harold E. Palmerの
英語教授法に関する研究
─日本における展開を中心として─
文・小篠敏明
ひとつの逸話
昨年、ラジオ放送でアジアのある国における日本の海外援助が問題になっていた。その国では塩漬けのヤク肉を中心とした食習慣のため、高血圧に
よる急死者が多く、平均寿命が世界一短い。この状況を改善すべく日本政府は、魚
肉を中心とした食生活をその国に提案したという。日本の専門家チームは、進んだ
日本の魚養殖技術によって魚の供給体制を作り上げようとした。これはもちろん、
自然科学的立場からは肯定されるべきものである。
しかし問題があった。その国の国教によれば、魚は神が宿る神聖な存在であり、
これを食することは絶対に許されない。案ずるかな、現地に入った専門家チームは
住民から石もて追われ、這々の体で逃げ帰ったという。地域の伝統や文化と相反し
た形で科学技術を導入しようとしたとき何が起こるのか―この逸話はこのテーマを
象徴的に物語っている。
ヘッドハントされたパーマー氏
実は、今から七十五年前、わが国の英語教育界でもこれと全く同
じことが起きていたのである。援助者の役割を演じたのは、英国人ハロルド・E・
パーマー。一九二一年、文部省の招聘により、年俸一万円で文部省顧問
として来日した。当時の総理大臣の年俸が一万二千円、東京帝国大学総長の年俸が
八千円であったことを思えば、破格の待遇であったことが察せられよう。
ヘッドハントされたとき、パーマーは四十五歳。脂の乗りきった盛りであった。
当時のヨーロッパの最先端をいく気鋭の言語教授法学者であった。自ら開発した教
授法「オーラル・メソッド」を携えて、日本の英語教育を革新しようとの意気に燃
えていた。
彼の教授法は一口でいえば、音声言語の習慣化を目指すものであった。それは今
でも少しも古さを感じさせないものである。一方、わが国の伝統的教授法は、訳読
、遅読を中心としたいわゆる「暗号解読法」であった。
全国行脚の果てに
着任するやいなや、パーマーは全国を行脚し新教授法を紹介しな
がら、全国の状況を隈無く調査する。一九二三年には英語教授研究所
を設立し、改革運動を強力に展開する。
やがてパーマーは、自己の教授法を推進していくうえで、制度上の制約が存在す
ることにに気付く。そして無謀にも、彼はそれを変えようとするのである。すなわち、英語
教授研究所年次大会において、制度改革を次々と打ち出していく。曰く
、「入学試験に聴解テスト及び口頭テストを導入すること」「クラスサイズを三十
人程度にすること」等々。
パーマーは新しい酒を入れるために新しい革袋を要求したのである(七十五年前
に提案されたこれらの改善案が未解決のまま、いまだに論議されている事実にご注
目いただきたい)。
このように高圧的なパーマーの要求は来日後五年間も続く。行政当局及び現場教
師との間の摩擦、軋轢は想像に難くない。もちろん彼はこの間手を
こまねいていたわけではない。彼は彼なりに懸命に努力した。機会を見つけては自
説を宣伝し、授業実演を行い、教材がないと見るや、教授法を普及させるための教
材を作成、出版したりもした。にもかかわらず、彼の基本姿勢には一貫したものが
あった。新しい革袋を要求し続けたのであった。
やがてパーマーは、自己の戦略が誤りであることに気付く。来日五年目にして、
ようやくパーマーは、自分の酒を古い革袋に合うように変えようとしはじめたので
ある。ここにいたって初めて、パーマーはひとつの具体的な文化の中で生き得る教
授法とは何か、というテーマについて真剣に考え始めたことになる。これはパーマ
ーの教授法観を根底から変えた。そして、パーマーの教授法はより完成度を高めて
いった。パーマーの教授法は、日本という困難な状況の試練を受けたことによって
、より総合的、より具体的、より有機的な教授法に成長していったのである。
本書の表のテーマと裏のテーマ
本書はこのようなパーマーの心の軌跡を時系列で追ったものであ
る。英国生まれのパーマー教授法が、日本でどのように展開していったのかを目的
論、目標論、教授理論、教材開発、教材作成理論、指導技法、指導手順の七視点か
ら追求したものである。それは、一つの教授法が成長発展するプロセスとは何かと
いう表のテーマと、一つの理論がある特定の文化に定着するためにはいかなる条件
を満たさなければならないのか、という裏のテーマをも内蔵している。
なお本書は、英語教育及び日本英学史の学問的発展に貢献したとして、日本英学
史学会より「一九九六年度豊田實賞」を受賞した。
姉妹書にKey Aspects of Palmer's Methodology(渓水社、一九九五年、英文)がある。
(A5判 二八四頁)三〇〇〇円
一九九五年 第一学習社発行
プロフィール
(おざさ・としあき)
◇一九四一年生まれ 熊本県出身
◇一九七〇年 広島大学大学院博士課程単位修得退学(教科教育学)
◇一九七七年 エディンバラ大学大学院修士課程修了(応用言語学)
◇一九九五年 博士(教育学)(広島大学)
◇現在附属三原幼稚園長、同小学校中学校長
◇所属=学校教育学部英語科
◇専攻=英語教育学
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