自著を語る

『科学と社会の インターフェイス』

文・成定 薫



日本は科学大国を目指す

 世紀転換期を目前にして、我が国は「科学技術立国」を目指して いる。これは単なるスローガンや漠然とした努力目標ではない。法律で明記されて いるのである。
 というのも、一九九五年十一月、「科学技術基本法」が制定されたからである。 その第一条には、「この法律は、科学技術の振興に関する施策の基本となる事項を 定め、科学技術の振興に関する施策を総合的かつ計画的に推進することにより、我 が国における科学技術の水準の向上を図り、もって我が国の経済社会の発展と国民 の福祉の向上に寄与するとともに、世界の科学技術の進歩と人類社会の持続的な発 展に貢献すること」とある。いかにも法律的「名文」で、一読しただけでは分かり にくいが、要するに我が国は「科学技術立国」の実現を目指すということである。
 早速、翌九六年七月には、基本法に基づいて「科学技術基本計画」が閣議決定さ れた。この計画によれば、今後五年間の政府による研究開発費の総額は十七兆円と いうことになっている。この金額はあくまで「目標」である。しかも周知のように 、我が国の財政は逼迫しているので、計画が実現されるかどうかは、政 府が科学技術立国の推進を他の政策課題との関連でどこまで真剣に考えるかにかか っている。
 ともあれ、基本法の制定と基本計画の策定は、政府の大学・高等教育政策にも影 響を及ぼさざるを得ないし、ひいては我が広島大学もさまざまな影響を受けること になろう。今回の一連の動きを、千載一遇の好機到来と喜んでいる同僚もおられる のではあるまいか。


科学立国論の系譜

 それはともかく、先年刊行した拙著の第三章「科学の制度化と科 学立国論」は、その表題にも明らかなように「科学立国論」を論じたものである。 とはいえ、前記に紹介したような最近の動きを直接論じたものではない。言うなら ば、科学立国論の「系譜」を論じたものである。
 十九世紀以前は、科学は、いわんや技術は、大学の中では微々たる存在に過ぎな かった。しかし、十九世紀を通じて科学は、さらに技術も、社会にとって必要不可 欠なものとして認識されるようになった。具体的には科学・技術が、大学・高等教 育機関の中に確固たる地歩を占めるようになった。この過程を「科学・技術の制度 化」と呼ぶ。


歴史と現代の対話

 そして、科学立国論とは、科学・技術の制度化の展開の中で、科 学・技術術の重要性を訴えた科学者および技術者による言説に他ならない。このような言説 の代表として拙著で筆者が取り上げ分析したのは、フランスの科学者L・パストゥ ールやイギリスの化学者G・ゴアの発言であった。
 彼ら十九世紀の科学者の発言と、現代日本の科学者、例えば元東大総長の物理学 者、有馬朗人氏の発言がきわめて似ていることに、うかつにも拙著刊行後に気付い た。
 科学と社会の接点に着目しながら、歴史研究が現代の問題に通じ、現代の問題へ の関心が歴史研究を促す──今後もそんなふうに研究を進め ていきたいと願っている。
(A6判 二五六頁) 二八〇〇円
一九九四年 平凡社



プロフィール

成定 (なりさだ・かおる)
◇一九四六年、兵庫県生まれ
◇東京大学大学院博士課程(科学史・科学基礎論)中退
◇所属=広島大学総合科学部人間文化コース
◇専攻=科学史・科学論



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