追悼




佐藤明先生の急逝を悼む

   佐藤先生が全く突然に亡くなったのは、日付が変わったばかりの三月 六日深夜であった。三十八歳の誕生日まであとわずかであった。
 佐藤先生が急性くも膜下出血で無言のまま椅子から崩れ落ちたのは、前日午後三 時二十五分。第一教授会で、前期の生物生産学部合格者を決定した瞬間であった。 出席者全員の目前のできごとである。
 人工呼吸に心得のある先生による必死の介護、保健管理センターの先生による酸 素吸入、救急隊員による汗を飛ばしての人工呼吸、国立療養所広島病院のスタッフ による緊急処置などが力及ばなかったことは、断腸の想いである。
 佐藤先生の十二年間にわたる助手生活で、最近は動物のキサンチンオキシダーゼ の研究に力を注いでいた。亡くなる直前まで実験に過ごす毎日で、彼のお得意のパ ソコンにはデータが眠っているに違いない。誠に痛恨に耐えない。
 後には奥様と三人の子供が残された。特に三人目は生まれたばかりで、彼は名前 を考えている最中であった。小学生の長男は、おじいちゃんと大学の研究室までき た。子供たちの健やかな成長を切に祈っている。

生物生産学部食品生化学研究室 太田安英(おおた・やすひで)




南朝生技官のご逝去を悼む
   理学部南朝生技官は、平成九年三月二十八日、四十九歳の若さで亡く なられました。誠に哀惜の念に堪えません。
 南さんは、昭和四十二年六月理学部地学教室(現地球惑星システム学教室 )に勤務されて以来三十年間にわたって、教室に次々と導入された分析機器による 地球科学系試料の分析と、分析データの解析ソフトのプログラミング、さらには機 器保全に関わることまでを一手に引き受けて、教室の研究・教育を支えてこられま した。
 最近では、教室のX線マイクロアナライザーが機器分析センターに移管されたの を受けて、全学から依頼される多種多様な試料の分析作業に携わっておられました 。きわめて多数の教官、院生、学生が南さんのお世話になり、素晴らしい研究業績 を挙げることができました。
 他方、教室のみならず理学部や大学の各種の催しにも積極的に参加され、また、 技官の技術と知識の向上に常に留意され、各種の勉強会のお世話までされていまし た。南さんは類い希な才能を持った技官として、地球科学系の学界の中で全国に知 られており、そのことが教室の誇りでもありました。南さんを失った痛手は計り知 れないものがあります。
 家庭には、あとに奥様とお二人のお子さまが残されています。ご家族を励まし、 お子さまの学資の一部に当てて頂くための遺児育英資金を募ることにしています。 ご協力いただける方はご一報ください。
 最後に、南さんのご逝去を悼み、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

理学部地球惑星システム学科 早坂康隆(はやさか・やすたか)



船越謙策先生のご逝去を悼む
 
   名誉教授船越謙策先生は、平成九年二月二十八日に八十八歳のお誕生 日を数日前にしてご逝去なさいました。
 船越先生は、昭和二十年七月広島高等師範学校に赴任されましたが、荷物の整理 のために京都におられ、幸いにして原爆にはあわれませんでした。しかし、焦土と 化した広島の街を離れて乃美尾校舎で授業をされるなど、広島高師の復興には大変 なご苦労をなさいました。
 昭和二十五年の新制広島大学の発足に際して文学部助教授となられ、昭和四十年 には同学部教授にご昇任になり、昭和四十七年三月に停年を迎えられるまで、二十 七年もの長きにわたって戦後の高等教育の大変な時期を、地理学教室の発展のため にご尽力なされ、学生の指導に専念されました。
 先生は京都大学で地理学を研究される以前、広島文理大で西洋史学を専攻されて おり、広い視野に立って東洋と西洋の地理的風土の差異とか、温帯草原や熱帯湿潤 地域の開拓などの研究に没頭なされ、政治地理学の分野でも高く評価されました。 先生は北海道の開拓など野外調査もよくされましたが、どちらかといえば「肘掛け 椅子の地理学者」であり、深い思索に基づく研究を得意とされました。先生は話し 好きな方で、学生のわれわれにも興味深い学問の話をよくなさいました。独特の口 調で話される先生の講義を拝聴したのを懐かしく思います。
 先生のご逝去を悼み、謹んでご冥福をお祈りいたします。

文学部地理学・考古学講座 森川 洋(もりかわ・ひろし)


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