筆順は、個々人の頭中に記憶されているものであり、書字の過程で紙上に具現化されるものです。このように考えた場合、個人差が前提となりますから、これを個人内筆順と呼びます。
一方、書物や文献などに示される筆順は、広く学習者が記憶することを想定した、規範性を伴ったものです。これを規範的筆順と呼びます。いわゆる「正しい筆順」は、これにあたります。
個人内筆順の実態調査をすると、必ず個人差が出ますが、それは規範的筆順の学習が十分でないからといった一方的な理由からだけではありません。一つに、筆記具の持ち方や字体の記憶・表出パターンの個人差等の誘因から、学習後に個人内変容を起こすという点があげられます。また、一つに、規範的筆順自体が過去に一定ではなかった、という点があげられます。記憶すべきいわゆる「正しい筆順」自体が揺れていたのですから、広い年齢層を対象とした場合、個人内筆順の実態調査の結果が一定でないのも当然でしょう。
本稿では、後者の規範的筆順の揺れという点から、いわゆる「正しい筆順」について考えてみたいと思います。
複数の筆順根拠の存在
規範的筆順には、その規範性を支える根拠が存在します。我が国の楷書筆順には、今日までに「A機能性 B字源 C行書」という筆順根拠が存在したと考えられます。当然のことながら、これらの根拠の違いによって、規範的筆順も異なってきます。
A. 機能性という根拠
機能性を根拠とする規範的筆順では、筆順と字形、筆順と運動、筆順と認知の各関係において、手書き文字における機能的要素(整え易さ・書き易さ・読み易さ・覚え易さ)がバランスよく働くことが求められます。したがって、旧字体から新字体のように字体の変化が起こった場合には、そのバランスが変化し筆順も変化します。また、特定定の機能的要素に重点を置いた場合もバランスが変化し筆順も変化してきます。
例えば、「上」は、「書き易さ」という点でいうと、その条件である筆路の最短コースを辿る「│ - 一」が適当です。しかし、「覚え易さ」という点でいうと「止正足走武」などの「上」と同形の部分を持つ他の漢字との整合性から「│- 一」が適当になります。
歴史的には、前者の筆順が主流でした。後者は、一九五八年に文部省から出された『筆順指導の手びき』(図版1)という筆順の基準書に示された比較的新しい筆順です。
ヨ図版1
同書「まえがき」には、「同一構造の部分はなるべく同一の筆順に統一するという観点で検討を加え」たとあり、特に「覚え易さ」という要素を追究したものでした。ある機能的なバランスを保つ筆順が一般に行われているところへ、公的機関が異なるバランスの筆順を基準として提示した場合、事実上、社会には二つの規範
的筆順が併存することになるのです。機能的要素は、歴史的には長い間自覚されておらず、自覚され始めたのは明治以降です。しかし、自覚されたことが特定の要素の追究ということにつながり、規範的筆順が複数存在するようになりました。
このことは、中国と日本の規範的筆順が異なる理由でもあります。例えば、中国では、「右」「左」の「ナ」の部分は「一ノ」という順序で統一しています。しかし、日本では、「覚え易さ」よりも「整え易さ」や字源を強調して、「右」は「ノ一」の順に、「左」は「一ノ」の順に書き分けます。
B. 字源という根拠
字源を根拠とする規範的筆順は、当該漢字の成立の段階で付された文字構造の意味を根拠として筆順を解釈しようというものです。この筆順の多くは『説文解字』(一〇〇許慎)による字義解釈をもとにします。それは、甲骨文字資料が発掘される以前の『説文解字』が字源研究の中心であった時代に流行した筆順根拠であるためです。
例えば『字彙』(一六一五梅膺祚)では「戌」「戍」を並べて図版2のように筆順を示しています。
ヨ図版2 ヨ図版3
機能性を根拠とする場合においては、「戌」「戍」の筆順は、「ノ」が先か「一」が先かという「厂」の部分の順序が問題となります。そして、両者の筆順は「ノ一」の順で示されるでしょう。『字彙』の筆順の示し方がこれと異なるのは、『説文解字』の図版3のような解釈によるからです。
ここでは、機能性という視点よりも、「人持戈」「戊含一」という両者の字義の違いを筆順を通して明らかにすることに重点が置かれています。
日本では、『字彙』の輸入が盛んだった江戸から明治前半にかけてがこの筆順根拠の流行の時期でした。
C. 行書という根拠
行書を根拠とするという考え方は、日本独特のものです。
江戸期は、御上から庶民にいたるまで「御家流」という行書(含草行)が主流の書体であり、楷書は唐様と言って、一部の人間が使っていたに過ぎませんでした。ところが、明治政府が成立しますと、突然公文書や教科書が唐様中心となり、楷書の素養のない多くの人々は行書から楷書筆順を類推したのです。「今日の楷書の中には、行書の書きかたを転用させる者、まゝこれあり、こは甚た宜しからす」とは、『運筆の順序』(一八九五 十七頁)における竹田左膳の言です。
行書は、筆順の根拠としては、機能性や字源と同列にできるほどの理屈を備えてはいませんが、事実として根拠となっていました。
日本も中国も今日的には機能性という筆順根拠が主流です。しかし、日本の規範的筆順には、行書筆順との整合性を図ろうとする意図や字源を根拠とする筆順の残存が認められます。一方、中国では、完全なまでに楷書筆順としての機能性が追究されています。(なお、中国の規範的筆順は、北京市語言文字工作委員会編『常
用字筆順字典』〈一九九一〉によります。)
各々の国で歴史的に醸成されてきた文字に対する意識・感覚、伝統的価値に対する考え方の相違、また、書字様式史の相違などが、日本と中国の筆順の相違を生む遠因だと考えられます。
「正しい筆順」とは?
「正しい」という形容は、筆順には馴染みません。
私たちが「正しい筆順」と考えているのは、前掲の『筆順指導の手びき』という基準書に示された筆順ですが、同書では、あくまで指導上の配慮から基準として提示するにすぎないとの立場をとっています。しかし、この点についての理解が欠けて、基準としての筆順はいつしか「正しい筆順」として教育現場に浸透していきました。結果、記憶の正誤判断を強いるだけの筆順テストがまかり通るようになりました。
機能性を根拠とするという考え方が主流の今日においては、筆順を暗記させることよりも、文字を書く過程において、「整え易さ」等の機能的要素を子供たちに実感させることが肝要です。文字によっては、そう実感できる筆順が複数あっても不思議はないのです。
プロフィール
(まつもと・ひとし)
◇一九六四年生まれ 千葉県
◇千葉大学大学院教育学研究科修了
◇広島大学附属中・高等学校を経て、一九九五年より学校教育学部言語教育講座勤務。講師。
◇専門は書写・書道教育。広く文字・文字教育に関心を持っている。