自著を語る
イギリス革命の宗教思想
文・写真 山田 園子
一. イギリス革命と現代日本
本書は、イギリス革命期の聖職者ジョン・グッドウィン(一五九四年?〜一六六五年)の一六四〇年代における言動について、書いたものです。彼は国王処刑や共和国の成立といった革命の政治過程を積極的に支持する論陣をはりました。イギリス革命はピューリタン革命とも呼ばれますが、われわれにはまったく関係のない、歴史の教科書に登場するにすぎない事件とみなす人もたくさんいるかもしれません。しかし、一六四〇年代にイギリスで生じたさまざまなできごとは、人々の価値観や世界観に根本的な衝撃を与えた革命として評価できるものです。
実際、イギリス革命の時代に論議されたことが、現在の日本国憲法にも生きていますし、その他の法律の問題を議論するさいに、さんざんむしかえされることもありました。憲法が規定する主権在民、思想・信仰の自由、政教分離といった考え方は、イギリス革命期にきたえあげられたものです。また、一九九五年の宗教法人法の改正をめぐる議論を見ると、それはまるでイギリス革命時の論争のコピーでした。歴史に学ぶという姿勢があれば、改正論議はもっと違った方向へ進んだかもしれないのです。
二. イギリス革命なんてなかったの?
この本を書いた直接のきっかけは、イギリスの歴史学界においてある見解の台頭があったことです。
私がはじめてイギリスに留学した一九八〇年代初頭には、修正主義の見解がひろまっていました。この見解によれば、イギリス革命と呼ばれてきたものは、たんなる権力闘争にすぎず、しかも何も新たな成果を生まなかった不毛なできごとにすぎませんでした。修正主義は、実証を重んじるという長所をもっていますが、歴史を進歩と発展の一直線の経路としてとらえるホイッグ史観やマルクス主義史観を批判しようとするあまり、できごとの意味を考えることには向いていませんでした。
私は、グッドウィンという一人の人物をとおして一六四〇年代を追体験しながら、一六四〇年代の事態が本当に不毛な権力闘争だったのかどうかを検証したいと思ったのです。
三. 無視されたアルミニウス主義
私がグッドウィンに目をつけたのは、彼の考え方に特異なものがあったからです。それはアルミニウス主義です。アルミニウス主義については、日本はもとより、海外でもひじょうに研究がすくなく、おまけに、その内容がじゅうぶんに理解されることなくことなく、現代のインターネット上ですら、アルミニウス主義をヒステリックに非難する論文を見ることができる始末です。
この原因は二つ考えられます。一つは、アルミニウス主義がカルヴィニズムとまっこうから対立したことです。イギリス革命の推進者としてピューリタンの存在が強調され、彼らの正統的教義がカルヴィニズムでした。カルヴィニズムは、ふつう宗教改革者ジャン・カルヴァンの教えとされ、十七世紀初頭のヨーロッパでは、カルヴィニズムこそプロテスタントの正統的教義だという風潮がひろまっていました。アルミニウス主義は異端的教説として弾圧され、イギリス革命研究においては、長いあいだ、反革命のイデオロギーとしてかたづけられてきました。
もう一つは、マックス・ヴェーバーの影響です。彼の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(大塚久雄訳、岩波文庫)によれば、カルヴィニズムは近代資本主義の精神である禁欲的生活態度や合理性を支えてきたものであり、一方、アルミニウス主義はそんな精神とは何のかかわりもない、むしろ反動的な教えでした。戦後日本の社会科学におよぼしたヴェーバーの影響はとても大きく、歴史研究の分野でも、ヴェーバーの見解にひきつけた研究やカルヴィニズムに関連した研究が多く出ました。アルミニウス主義など見向きもされなかったのです。
四. ピューリタンをこえる革命家
しかし、近年になって、資本主義経済のもつ問題のみならず、人種差別や自然破壊といった問題を契機に、近代西欧の合理性にたいする疑問がさまざまな分野で明らかにされ、近代社会の功績も批判的に見直されはじめてきています。
そうした中で、プロテスタント倫理の支柱となったカルヴィニズムに真正面から対立した宗教思想をもつグッドウィンを追いかけながら、イギリス革命や近代西欧文明の意義と問題をあらためて考えようというのが本書のねらいです。
アルミニウス主義は、通説とは異なり、グッドウィンをいわゆるピューリタン以上の革命家に育てあげたのです。
(A5判 三三八+二六頁)
六四八九円
一九九四年 御茶の水書房
(カバーは、私の父、山田豊石
の絵にもとづく。)
プロフィール
(やまだ・そのこ)
◇法学部教授
◇一九九〇年学位(法学博士)取得
◇一九八三年〜一九九四年島根大学法文学部在職
◇一九九四年から現在に至る
「分割相続と農村社会」を読む
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