留学と海外生活について思うこと

文・写真 湯藤 定宗(Yuto, Sadamune)
教育学研究科
教育科学専攻博士課程後期




 私は、一九九六年四月から一年間ミネソタ大学大学院に留学しておりました。一九八九年にミネソタ大学教育学部との間に学部間交流協定が締結され、今までに六名の学生が留学生として派遣されています。本稿では、私的ではありますが、米国での経験などを交えながら、留学と海外生活について考えてみたいと思います。

写真 クリスマスのホームパーティにて(筆者中央)

留学の明確な目的とフレキシブルな計画
 留学に関して最も大切なことは、「なぜ、留学するのか」という問に自答すること、つまり明確な目的を持つことだと考えます。
 私は、ミネソタ州の教育改革とそれが学校現場に与える影響に非常に関心がありましたが、日本での文献収集だけでは、学校現場の状況が把握できないもどかしさを感じておりました。したがって、「ミネソタ州の学校現場に入り、新しい教育改革のダイナミクスを肌で感じる」という、少々大げさですが、明確な目的を持っていました。もちろん、留学の目的は「語学能力の向上」や「世界の人々との交流」など人によって異なりますが、そこに明確さを持たせることが、留学を充実させるために必要だと思われます。
 また明確な目的と関連して、それを実現するための綿密、かつフレキシブルな計画を立てることも非常に重要なことだと考えます。日本と状況が大きく異なることから、綿密な計画はなかなか達成されず、非常にストレスを感じることになるかもしれません。私の場合はそうでした。そこで計画に柔軟さを持たせることも、必要だと思われます。



海外生活の意義
 次に海外生活についてですが、一年間という短期間にもかかわらず、強く印象に残っている出来事が多くあり、何から書き始めればいいのか迷ってしまいます。とりあえず、クリスマスパーティについて触れておきます。日本との違いからかもしれませんが、最も驚いた体験の一つはイヴの夜のホームパーティでした。日本のお正月をイメージすれば、理解しやすいのかもしれません。私の知人の両親の家に親戚や知人が一堂に会し、終始楽しい語らいのなかで夕食をとり、プレゼントの交換などがありました。アメリカの映画などを見ていると、そのような場面をよく目にします。しかし、それが私の目の前で現実に起こり、それが日本のクリスマス事情とあまりにも懸け離れている事実に、一種の「カルチャーショック」を感じました。
 また、ファッションや車などに代表される若者文化にもよく驚かされました。我々日本人がイメージしているアメリカの若者文化は、少なくともミネソタ大学の学生に関しては当てはまらない場合のほうが圧倒的に多かったように思います。服、車やレジャーなどにはそれほどお金をかけず、質素な生活に価値を置いているような印象を受けたことは、私的なアメリカのイメージの修正を迫られる契機となりました。ここに海外生活の一つの意義があるように思われます。
 情報と現実の間には、常に一定の距離があります。情報の受け手として、このことを意識しておくことは重要なことだと思います。そうすることによって自分が情報の送り手になった場合に、その距離を最小限に押さえる工夫もできるのではないかと思います。



有用な経験知
 今後、国際化がますます進む世界情勢の中で、異文化間交流の衝突や齟齬が従来以上に大きな社会問題になっていくことが予想されます。その場合、海外での経験や、国内での留学生との交流は、非常に有用な経験知として生かされることでしょう。自らの豊富な人生経験としてだけではなく、国際化社会における貢献という大きな観点に立った留学が望まれます。



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