トムスク工大との学術・教育交流協定締結うらばなし

文・写真 遠藤 一太(Endo, Ichita)
理学部物理学科教授



トムスクという町

 トムスクってどこにあるんだろう。地図を見てもよくわからないが、私の母親は知っていた。女学校の地理で習ったそうである。シベリア開発の拠点として帝政ロシア時代につくられた古い町である。シベリアの森林地帯のまっただ中、緯度はモスクワと同じ、東経八五度くらいのくらいの位置にある。
 この町を最初に訪問したとき「この場所はプーシキンのボリスゴドノフに出てくる」という説明を受けた。気候はちょうど上高地のような感じで過ごしやすい。人口五十万人の大都市なので、真冬でもバスやトロリーバスが運休するようなことはない。とはいえ、今年の冬は特に厳しくて零下三〇度の朝、子供を幼稚園に連れていくのは大変だったとか。


交流のきっかけ

 十年ばかり前、我々の研究室では単結晶に高速電子ビームを当てた際に生ずる光強度の異常現象をみつけた。調べてみると、これに関係した研究論文をソ連のトムスクの研究者が出版していた。ところが、我々の実験では光強度が異常に増加するのに対し、彼らは、異常に減少するというのである。そこで、手紙による議論がはじまった。
 一九九〇年、突然、そのグループの責任者のボロビヨフ教授から手紙がきた。今度日本にいくので、会いたいとのことである。ちょうどペレストロイカがはじまり、研究者が自由に外国に行けるようになった時期であった。
 東京で会って、話を聞いてみると、彼の所属するトムスク工大は、学生数六四〇〇人のかなり大きな大学で、加速器などの大型研究施設をいくつも持っていることがわかった。
 「ぜひトムスクにきてくれ」というので、おっちょこちょいぶりを発揮して、一九九一年七月吉田さん(現在放射光科学研究センター教授)と二人でトムスクを訪問した。我々は、ソ連時代にトムスクを訪問した最初の外国人科学者なのだそうだ。
 一九九一年のソ連は面白かった。情報公開が急速に進み、テレビでは毎日アメリカ映画が放映されていた。経済的危機にさらされつつも自由世界への期待で希望に満ちていた時期である。ボロビヨフ氏との会話では「日本との間で、物理の研究者だけでなく、芸術や他分野、学生まで含めた交流ができればよいのだが」という話が何度も出てきた。


交流協定を締結

 一九九五年九月、トムスクでの国際会議に出席したとき、広島大学とトムスク工大の間の教育研究協定の具体化に取り組むことを約束した。広島大学に放射光科学研究センターやベンチャーラボなどの共同利用研究施設の建設がはじまったことや、トムスク工大では創立百周年を機に国際化のための体勢を整備したことなどがきっかけとなっている。
 この年十二月にトムスク工大からポティリツィン教授が広島大学理学部を訪問し、交流協定締結を正式に打診し、その後の関係者の努力で、今年三月に理学部との間で協定が結ばれたわけである。


交流のもう一つの意義 ─世界的な教育研究ネットワーク─

  この五月には、ポホルコフ学長が本学を訪問した。今後、学部間協定から全学の協定に広げて、学生交流も積極的に行いたいとのことである。日本に引き続きアメリカに飛び、数大学を訪問して「世界的な教育研究ネットワークを作ろう」という提案をして回るのだそうだ。環境問題をはじめとし、地球規模での問題にとりくむにはシベリアを抜きに考えることはできない。アメリカの大学がこの話に積極的だというのも、もっともかもしれない。
 ところで、今年、トムスクを訪問したときには、大学運営組織がかつての官僚支配色を一掃し、アメリカ企業的に大変身していることを実感した。インターネットでトムスク工大ホームページを見ればよくわかる。 トムスク工大URL(http://www.tpu.ru

トムスク大学 トムスク工大の国際交流部門のオフィスで働くボンダレンコ博士。電子メールを駆使し,世界各地の大学と連絡をとっている。インターネットで流れているトムスク工大ニュースもこの人が発信しているらしい。








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