2000字の世界(24)

タイ北部のHIV/AIDSに対するNGO活動

文写真・ 平岡 敬子(Hiraoka, Keiko)
法学部助手



        差別や偏見をなくし エイズに立ち向かう努力を


  雨期が終わる十月中旬のチェンマイを国際開発高等教育機構(FASID)主催の「エイズプロジェクトマネジメント」研修に参加するため訪れた。チェンマイは「北方のバラ」と呼ばれ、花と緑に囲まれた美しい都市である。しかし、今この地方はエイズの脅威にさらされている。
 タイで初めてエイズ患者が報告された一九八四年の頃、感染者は主としてホモセクシャルの男性や麻薬中毒者であった。しかし現在、感染者の多くは一般家庭の夫であり妻であり、またその子どもたちである。エイズ感染が一般家庭に入り込んだ原因の一つは、二次会のノリでCSW(Commercial Sex Worker)のもとを訪れるタイ人男性の行動にあるといわれている。HIVに感染したCSWを介し、爆発的に感染が拡大したのである。
 こうしたタイ人男性の習慣以上に、この問題を深刻化させた原因は、国際観光ビジネスを奨励し、観光産業による外貨の獲得を望むタイ政府の姿勢にあった。当初、タイ政府がエイズ対策に消極的だったのは、観光への影響を恐れたためだといわれている。加えて北部地方の貧困問題もある。保健省の人たちと見学した「マッサージパーラー」で働く女性の多くは、チェンマイよりさらに北の農村出身者であった。地方の若い女性が、賃金のより多い職を求めて性産業に従事しているのである。
 今回の研修の中で特に印象的だったことは、さまざまなNGOの活動である。それらの活動の多くは、PWA(People living with HIV/AIDSの略)の方々が支えている。私たちはチェンマイの郊外にある「コミュニティ・ヘルスセンター」を見学した。そのリーダーは、夫をエイズで亡くし、自分自身も感染者である。彼女はヘルスボランティアとして、まさに聴診器一つで村の人々の健康管理に携わっていた。村人たちは彼女のことを「ドクター」と呼び、厚い信頼をおいていた。
 彼女に付いてある家庭を訪問した。そこには四歳になる女の子(二歳くらいの体格でとても四歳には見えない)と三十五歳の女性がいた。二人ともHIVに感染している。夫はすでにエイズで亡くなり、目の不自由な七十六歳の父親と心臓病を患っている十三歳の娘との四人家族であった。
 ヘルスボランティアが、子どもを診察し、母親の話を聞きながら、薬とビタミン剤を処方した。そのリーダーは、食料と少しのお金を渡していた。彼女は、「医師はエイズHIV感染者に冷たい。薬の説明すら真剣にしない。だから、私が代わりに薬の作用と副作用の説明をしたり、日常生活指導をしているのだ」と言った。
 これらの活動は、タイ政府やNGOからの資金が支えているが、朝早くから夜中まで働く彼女自身の献身的労力が支えている。「どうしてそんなにまでして頑張れるのか」と聞くと、「私の肉体はHIVに侵されているけど、心は侵されていないから」と言う言葉が返ってきた。また彼女は講演のなかで「エイズよありがとう。おかげで私は自分の人生を見つめることができた」と話した。彼女は感染していることがわかってから、弱者のことが考えられるようになり、彼らを支援することで自分自身もより積極的な人生が送れるようになったとも言った。
 私は彼女の言葉に感嘆すると同時に、日本にエイズが蔓延したときのことを考えると恐ろしくなった。個人主義が中途半端に進み、近所づきあいがなくなり、町内会も形骸化している今の日本のコミュニティで、エイズの脅威に立ち向かう彼女のような活動が、果たして実践できるだろうか。
 こういったタイのNGOの活動とその経験には、実に学ぶべき点が多い。エイズは性感染症という理由から偏見が根強い。同じ病気でも血液製剤感染者には同情できるが、性行為による感染者に対しては自業自得という考え方をもつ者もいる。
 ある日本の感染者は、エイズの発症も恐怖だが、それよりもこの病気による差別の方がもっと怖いと述べている。タイ北部の場合、感染者の数が増え、エイズが日常の問題となってから、PWAに対する差別や偏見がなくなったといわれている。今回のチェンマイでの経験から、「愛情が何よりのワクチン」というエイズに立ち向かえるような社会的理解と共生の思想を育む努力が必要であると強く感じた。



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