開かれた学問(71)

強磁場科学
─ 強磁場中の物理変化・化学変化・生命現象をみる ─


文 写真・谷本 能文

 



一.なぜ磁場か?

 少年時代に磁石に魅せられた人は多いと思う。英和辞典で"magnet"をひくと、第二番目の語義として「(固有の魅力で)人を引きつける人(物、動物、場所)」とあるのもうなずける。多くの化学者もまた磁石の魅力のとりこになったようである。
 最近、超伝導磁石が普及し、「強磁場科学」という新しい研究領域が脚光をあびている。ここでは、筆者らの研究を例に、一〇テラス級の強磁場により物理変化・化学反応・生物がどのような影響を受けるのか簡単に紹介したい(一テラス= 一万ガウス)。ちなみに地球磁場の強さは約〇・五ガウスである。


二.なぜ磁場は物理変化・化学反応の道筋に影響を与えることができるのか?

 物質は原子の集団から構成され、原子は原子核と電子からなる。物質のもつ磁気的性質(磁性)は、電子の原子核回りの公転と自転との二つの運動により生じる。
 物質を磁性により分類すると、鉄やコバルトなどの強い磁性を示す物質(強磁性物質)、鉄イオンや酸素などの弱い磁性を示す物質(常磁性物質)、大多数の有機物・無機物のように磁性とは一見無縁にみえる物質(反磁性物質)などに分けられる。強磁性物質と常磁性物質は磁場に引き寄せられるのに対し、反磁性物質は非常に小さいながら磁場に反発する性質がある。
 すべての物質はこのようにそれぞれ固有の磁性をもつ。したがって、いろいろな物理変化・化学反応に磁場が影響を与えることが予想される。直径五〇ミリ、長さ三七五ミリの円筒形の室温空間に最大中心磁場八テラス、水平方向に図1に示す磁場強度分布をもつ超伝導磁石を用いて以下の実験を行った。

図1.超伝導磁石内の磁場強度の分布
縦軸は磁場強度、zは磁場の中心からの距離



三.強磁場で寝ている結晶を起こす?

 ナフタレンは、昔は防虫剤として家庭でもよく使われたことのある反磁性の有機物である。ナフタレンの熱エタノール溶液を、ガラス容器(五〇ミリ× 二五ミリ×三八ミリ)に入れ静かに放置すると、ナフタレンの鱗片状結晶が析出する。その磁場効果を図2に示す。
 磁場がないときには鱗片状の結晶が容器の底に析出する。ところが八テスラの磁場中では、結晶は底から立ち上がり、磁場の方向と約二〇度の角度に整列して析出している。「寝た子を起こす」という言葉があるが、磁場により「寝た結晶を起こす」ことができることが分かった。
 では、なぜ結晶は磁場により起きるのであろうか。ナフタレン結晶の磁気的性質は結晶の向きにより異なる。そのため、結晶の磁気エネルギーは結晶の向きにより異なる。結晶が容器の底に寝ているときの磁気エネルギーと、立って並んでいるときの磁気エネルギーを比べてみると、後者の方がエネルギー的に安定なため、結晶は起きた状態で成長するのである。反磁性物質のみならず常磁性物質や強磁性物質の結晶も、磁場によりその方向を揃えることができる。

図2.ナフタレン結晶の強磁場効果
(a)磁場のないとき
(b)8T(テスラ)の磁場のとき(右下のは磁場の向きを示す)



四.強磁場で銅樹のパターンを変える!

 塩化銅()水溶液に亜鉛棒を入れると、イオン化傾向の大きな亜鉛が溶け出し、替わりに美しい銅樹(金属銅)が析出する。
 プラスチック容器(三八〇ミリ×四〇ミリ×一〇ミリ)に塩化銅()水溶液を染み込ませたろ紙(三〇〇ミリ×三七ミリ)を敷き、その上に亜鉛棒(直径五ミリ、長さ二五〇ミリ)を置き反応させた(図3)。
 磁場がないときには、銅樹は亜鉛棒の回りにほぼ均一に生成する。一方、強磁場中では磁場の強いところ(亜鉛棒の中心部)にだけ銅樹が生成し、磁場の弱い棒の両端にはほとんど銅樹は析出していない。
 このような磁場効果は、溶液中の銅イオンが常磁性のため磁場に引き寄せられ、同時に溶液それ自身も銅イオンと一緒に引き寄せられたためと説明される。

図3.銅樹の強磁場効果
(a)磁場のないとき
(b)中心磁場5Tのとき (c)中心磁場8Tのとき



五.ミドリムシは強磁場がお好き?

 ミドリムシは池や沼に生息している鞭毛を有する体長約五〇マイクロメートルの単細胞動物である。
 ミドリムシを含む水を直径三〇ミリのシャーレに入れて磁場中に置いてみた(図4)。磁場がないとき、ミドリムシはシャーレ全体に広がっているが、強い勾配磁場中では、磁場の強い方に引き寄せられている。死んだミドリムシは磁場から遠ざかることから、ミドリムシの体組織は反磁性であり、生きたミドリムシが磁場に寄るのは、何らかの生命現象に基づくことがわかる。ミドリムシがなぜ強い磁場に集まるのか、その理由は未解明であり、現在鋭意研究中である。

図4.ミドリムシの走磁性
(a)磁場のないとき
(b)中心磁場8Tのとき(シャーレは磁気力が最大であるz=50mmの位置に置く。右下のは磁場の強い方向を示す)



六.まとめ

 ここでは強磁場の面白さを知っていただくために、三つの例について紹介した。その他にも光化学反応や電気化学反応など、さまざまな化学反応や物理変化が強磁場の影響を受けることがわかっている。
 新規な性質をもつ高機能性材料の創製や化学反応を制御する新しい方法として、強磁場が使えるのではないかと強く期待される。例えば最近、新機能性材料として注目されているカーボンナノチューブは、サイズが小さいため方向を揃えるのは困難である。しかし、ナフタレン結晶のところで述べたように、強磁場を使えば整然と揃えることが可能かもしれない。
 また、最近宇宙における無重力状態が新聞・テレビ等で話題となっているが、物質にかかる重力と反対方向に磁気力を作用させることにより、無重力状態を作ることも可能である。「宇宙空間」でしか利用することのできなかった無重力状態を、磁気力により地上で容易に作ることも原理的には可能である。強磁場応用の新しい研究は、二十一世紀に大きく膨らむものと期待される。





 プロフィール

(たにもと・よしふみ)
◇一九四四年兵庫県生まれ
◇東京大学大学院理学系研究科化学専門課程博士課程修了、理学博士
◇金沢大学薬学部を経て一九九〇年から本学勤務
◇理学部化学科教授
 専門は、磁気化学、磁気科学
現在、「強磁場による化学反応の制御」を主要テーマに研究を行っている。
E-mail:
tanimoto@sci.hiroshima-u.ac.jp
 

広大フォーラム30期6号 目次に戻る