自著を語る

『リベラリズム/デモクラシー』
著者/阪本昌成
 (4−6判,231ページ)2,000円(本体)
 1998年/有信堂

 
『これでわかる!?憲法』
 編著/阪本昌成
 (A5判,231ページ)2,000円(本体)
 1998年/有信堂

 

文・ 阪本 昌成


      「憲法学界の異端児」も わが身を振り返る歳になった

 年齢を重ねてくると、若い研究者の論攷についついイチャモンをつけたくなる。"どうも今の若い世代は、先輩の苦悩など知らぬ顔で、今まで蓄積された知識の良いとこどりをしながら、「それは違います」と言ってるようだ、けしからん"というわけだ。
 そういえば、「憲法学界の異端児」を自称する私自身、先人たちの苦悩を顧みもせず、「それは違うだろう」と言い続けてきた。その私も、冷静になってわが身を振り返ることのできる年齢になった。"阪本は実にふとどき千万な輩だ"、"だから、あいつは学会の先輩・同僚から嫌われるのだ"という噂が私の耳に聞こえてくるようだ。


また通説に楯突いて、 現代の国家の異常さをつく

 私は、学界のいわゆる大御所のいうこと、通説のいうことにずっと楯突いてきた。"人権は、人間が人格的存在であるという理由に基づいて保障される権利だ"とよくいわれる。が、私は《人間が人格的で道徳的であろうとなかろうと、人権は保障されなければならない》と論じてきた。
 一九九八年の十月に出版した拙著『リベラリズム/デモクラシー』は、これまでの私の論調をさらに徹底させたものだ。この本のために私は、これまで以上に学界から疎まれるだろう。そのことを覚悟で私はこれを江湖にあえて送り出した。
 "デモクラシーは、個人の尊厳を保障する政体である"と大御所はいう。これに対して、私は《デモクラシーは、政治的意思決定の方法にすぎない》とやり返す。そればかりか、《統治はデモクラティックでないことのほうが望ましいことがある》と私はダメを押すのだ。憲法は、統治の民主化を徹底させない工夫を数多く組み込んでいる。権力分立をもってデモクラティックだ、という論者の知性を私は疑う。
 「自由」という概念に関する私の見方も、公法学界では異端のようだ。
 私は、《自由とは国家が意図的に作り出した障害を排除する法力をいう》と割り切っている。自由を徹底して消極的に形式的に捉えようとしている。自由を語るにあたって、実質的自由という特殊な用法を持ち出すべきではない、というのが私の持論なのだ。また、リベラリズムについても、それは個人主義と消極的自由論の政治版だ、と割り切っている。私のリベラリズム理論は、ここまで肥大した国家(巨額の財政出動に象徴される「大きな政府」)が道徳的にみて異常だ、と説こうとしたものだ。


「民主主義」とは、「人権」とは…解き明かされる憲法

 一九九八年の四月に出版した『これでわかる!?憲法』は、教養的教育レベルにターゲットを絞った憲法の教科書である。
 この本の出版にあたって留意したことは、次の点である。
 第一に、理念ばかりに彩られた叙述を避けて、現実の政治を見据えながら憲法の構造を解き明かしていくことである。そのためには、デモクラシーを万能としないこと、「人権」という言葉を真剣に厳密に使用することが必要だった。
 第二に、歴史の展開のなかで、いかにして、なぜ、近代立憲主義が登場したのか、というダイナミズムが実感できる本とすることである。日本国憲法は、真空のなかで突如できたものでもなければ、GHQのもたらしたものでもなく、天才思想家たちの産物なのだ。
   第三に、読んでわかりやすいことである。専門用語を避けながら、日常的な会話のなかで知識を吸収できるよう、対話調をふんだんに活用したのは、そのためである。


プロフィール        
(さかもと・まさなり)
☆法学部教授
☆法学部夜間部主事
☆日本公法学会理事
☆関西アメリカ公法学会理事長
            




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