停年後には山に入る

 藤井 守(ふじい まもる) 総合科学部アジア研究講座 

〈部局歴〉
  昭和40・4 (私立学校)
    49・4 文学部
    57・10 総合科学部
   
 


 「停年後には山に入る」とはいっても、いまのわたしのことではありません。これは、三千年も前、中国は河南省あたりの、いまでは知る術もない詩人の話です。
 ことは、この十月半ば、学生に提出させたリポートから始まります。そのリポートはいまでは学生たちから醒めた目で見られはじめた、パッケージ科目「人間の自画像」の中で、担当している「中国文学の世界」の課題のもので、その女子学生のリポートには、
 『詩経』衛風の「考槃」では年老いた人が充実した隠居生活を送っている様子が書かれている。
と書いていました。確かに、「考槃」の詩には、
 槃(たの)しみを考(な)しとげて
 澗(たに)に在るは
 碩(すぐ)れし人の寛ぎなり
 独り寐(い)ねて 寤(さ)めて言い
 永く わすれじと矢(ちか)う
と、あります。「槃」を隠居の場所と理解する人もいます。かつては、なにげなく読み過ごしてきた詩でしたが、いまはそうは参りません。
 「碩人」とは、大きく距たった存在ですから、こちら、停年になったからといって、のこのこと山に入ることは許されません。リポートは、さらに続きます。
 しかしそれは、その人がそれまでに「やるべき事を成し遂げた人」だからである。このリポートからも、こうはっきりと釘をさされますと、いまのわたしは、澗にも岡にも高原にも入れません。山も同じ事。やるべき事、あまりにも多くを残していますから。
 いずれは、許されて山に入った、という風聞が、そちらへも届くかもしれませんが、それより先に別の世界に迷い込むかもわかりませんね。
<付記>  この女学生のリポートは、「碩人」のことを考慮しておらず、論旨の展開に空回りしているところもあるが、差し戻される憂き目だけは、免れている。


93年夏、台湾・玉山から下山の途中、留学生、ガイドの方々と(筆者前列左端)



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