あさきゆめみしゑひもせす

 大槻 和夫(おおつき かずお) 教育学部国語教育学講座

〈部局歴〉
昭和35・4 教育学部  
   
 


 一九五四(昭和二十九)年広島大学教育学部に入学、爾来四十五年間、一歩も本学の外に出ることなく、ここで学び、仕事をさせていただいてきました。母校に残していただいたことは「幸運」だったに違いありませんが、肩にかかる責任の重さに苦しんできたことも事実です。
 助手から講師に上げていただいた途端、大学紛争が勃発、学部内最年少の教官であった私は、学生の気持ちもわかるだけに、苦しみました。若年にもかかわらず学長指名の広島大学改革委員に指名され、他学部の先生方とも口角泡を飛ばして議論し、徹夜で改革案を起草したりしました。
 これまた学長指名の委員として広報委員会に入り、副委員長に指名されたときは、学内コミュニケーションの活発化を図るため、広報誌(「学内通信」)を月に二回程度発行し、委員長とご一緒に印刷所に出かけて校正をしたこともありました。
 その後教育学部の改組、大学移転と続き、そのうえ大学紛争(大学闘争)で突きつけられた問題に自分なりに応えようとして手を広げたこともあって、研究は遅々として進まず、業績らしい業績を挙げることもなく停年を迎えてしまいました。
 教育学部は今また、「改革」に苦しんでいます。今後どういう形に落ち着くのかわかりませんが、私たちの退官とともに一つの時代が終わるのだと思うと、感慨なしとしません。ともあれ、長い間ありがとうございました。ご発展を切にお祈りいたします。


1998.8.21. 朝鮮大学校、金研究室で広大留学生OBらと。右より大槻、多和田教授



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