私の広島化

 小笠原 道雄(おがさわら みちお) 教育学部教育哲学・教育史講座

〈部局歴〉
  昭和39・4 (私立学校)
    40・4 (北海道学芸大学) 
    41・4 (北海道教育大学) 
    46・4 (私立学校) 
    52・4 教育学部  
   
 


 一九七七(昭和五十二)年三月二十九日、私は家族共々、東京駅発の寝台列車「あさかぜ」で広島に赴任しました。小さな二人の子どものどうしても乗りたいという願いを聞き入れたことと、それ以上に私自身、学生時代休暇から帰広の折、急行「安芸」号の車窓から幾度となく眺めた瀬戸の海の朝焼けを味わってみたかったからです。
 爾来二十二年、前半は東千田町、後半は東広島とそれぞれ十年の生活を続けることになりました。これほどながく、広島大学にお世話になるとはまったく思いもしませんでした。それ以前、私は六年ごとに北海道、東京と勤務地を変えており、従って、多分、そのうちどこかにまた転勤するものと感じておりました。しかし、六年が経過してもそのような話はなく、結局、当時の西ドイツ・ボン大学に出かけ、気分転換をはかったりしました。
 広島に生活してみて、ここ安芸地方独特といってもよい人間関係のこまやかさ、その関係のきり結び方に、所詮、私のようなよそ者はとてもついて行かれない、という思いでありました。しかし大きな時の流れは、私を馴化させたのでしょうか、あるいは私自身が鈍感になったのでしょうか、最近あまり気にならなくなったのです。いや逆に、東京や他の地方に出かけると、一時間でも、ひどい時には一秒でも早く帰広したくなるのです。いわば、二十年にして、私の広島化が完成したのかも知れません。
 それと同時に、広島における教育学研究のありよう、特色をかなり強く考えるようになりました。そのような目で、先達の諸研究をながめてみますと、時々の制度の大きな変化の中でも、中央の権力機構から適度の距離を保ちながら、一貫して、ヒューマニズムに徹した教育研究を遂行されてきた姿勢が見えてくるのです。この根本姿勢だけは若い世代の方々が継承してくれることを、私は心から願っております。


平成元年、教育学部統合移転に際して教育学部学生委員長として



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