六十三回転目

 鷲見 義雄(すみ よしお) 理学部原子核物理学講座

〈部局歴〉
  昭和38・4 (大阪大学)
    44・10 理学部
 
   
 


 最近、「二〇〇〇年問題」とやらが大変なんだそうですが、運良くその前年に停年となってヤレヤレです。
 年で思い出したのですが、かつて学位記の年は西暦に一元化したら、というE教授の提案に「そうだ、そうだ、それがいい」と賛成したところ、Y教授から、年号日本文化論をお説教され、「あなた方は西洋かぶれしている」と叱られたことがありました。それで今でも学位記には日本の年号が書かれています。
 でも、そのとき私が言いたかったのは、この問題は詮ずるところ地球の公転回数をどう数えるかだから、これをある個人の死とともに変える方法は煩わしいだけだ、という至って単純なことだったのです。
そういう観点からみると、この頃あまりにも頻々と用いられる「二十一世紀には…」というセリフにも、大きな違和感を覚えてしまいます。つい「N回転目とN+一回転目(Nの妥当な値を、地球が公転を始めてからの回数とすると、九桁の数になるはず)で物事が急に変わるはずないんじゃないですか」とヘソを曲げたくなってしまいます。
 それにしても、広大に来たのが一九六九年(これを昭和四十四年というと、どうです、いかに日本文化を礼讃する方であっても、はなはだ不便でしょう)、その後長い間、イヤミなことをいっぱい言ってきました。
 そこで終りに軽く一発。広報委員会の原稿依頼状に、『文体を統一するために「です、ます」調で執筆してください』とある、いや、あります。私は文体、用語法等全て個性の表現であると思う一方、大学は個性をなるべく伸ばす研究教育機関ですから、こんな制限はとっぱらうべきだと思うのだが、あっ、またいかん、べきであると思うのですが、どうでしょう皆さん。

研究仲間と賀茂鶴見学(筆者前列中央)



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