さようなら

 舟橋 喜惠(ふなはし よしえ) 総合科学部社会文化研究講座 

〈部局歴〉
  昭和41・4 (名古屋大学)
    50・2 総合科学部
   
 


 一つのけじめを付ける時がきました。あっという間にその時がきたという感じもないわけではありませんが、やっと待ちに待った時がきたという感慨も強くあります。
 総合科学部はまことに忙しい学部でした。『教員の勤務条件に関するアンケート』(一九九七・八)を読むと、他学部もふくめ、いまでは大学全体がやたらと忙しくなりましたが、総合科学部は創設から今日まで、つねに学部としての存在理由を問われつづけてきた点で、他学部とは違った課題を背負ってきました。既成の学問的枠組みを切り崩す総合科学部の創設理念が、学問の歴史を軽視した安定性を欠いたプランのようにみえたからでしょう。それは重い課題でした。
 何年かに一回、改革の嵐がふき、そのたびに学部のめざしている学際性、総合性の中身が問われ批判されました。おそらく今後も、そうした批判はつづくでしょう。「意地悪だなあ」と感じさせる他学部からの批判もありますが、なによりも学部自身が問題を感じ緊張感をもちつづけてきました。創設から、まもなく四半世紀が過ぎ、努力しているというだけでは通用しない、成果を問われる時期がきていると思います。
 同時に改革は陽のあたらない分野を生じさせるでしょう。それが研究費の問題と連動します。人間としての基本的人権と同様に、研究者として、教育者としての基本的人権も軽視しない配慮が必要だと思います。


総合科学部を望む



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