がんの治療と予防を考える

 岡田 浩佑(おかだ こうすけ) 医学部健康科学基礎看護学講座

〈部局歴〉
  昭和36・4 (公立病院)
    37・4 原爆放射能医学研究所
    42・10 医学部附属病院
  平成6・4 医学部
 
   
 


 昭和二十八年春、中国の上海から引揚船に乗り、舞鶴に上陸した私の少年時代には、広島という地名は頭の中のどこにもなく、またがんというものも知りませんでした。
 東京の引揚者住宅に入る予定が、国泰寺高校の校長をしていた叔父との縁で、官舎に居候となり、観音高校、広大医学部、原医研内科へと進みました。
 血液内科医の道から、昭和四十五年米国のがん部門に留学したため、いっぱしのメディカル・オンコロジストを意識し、頭の中は四六時中、がん治療のことで一杯でした。その後、白血病・悪性リンパ腫など、造血器腫瘍の治療は急速に進歩しました。しかし、大部分の固形腫瘍の治療には、めざましいものがあるとは言い難く、患者はむだな戦いはしない方が良いといった意見も、一部の医師の中から出現しました。
 日本では、四十歳以上の二・五人に一人ががんになります。高齢化が進むにつれ、今後はゆるやかな治療法で、しかも安価な方法を追究することが必要となります。中国・インドその他、人口が多く、国自体があまり裕福でない所では、より安価なものを求めるでしょう。
 この五年間は保健学科に籍を置き、がんの治療と同じくらい、予防のことが私の関心事でした。わずかに研究課題の方向性が見えてきたところで、停年退官を迎えました。
 四月からは呉大学に籍を移し、ローカルで仕事をしても、グローバルに通じるように、がん対策の道を、今後とも追究したいと思います。広島大学には、学生時代から今日までたいへんお世話になりました。長い間ありがとうございました。

看護学第1回生と保健学科前で(1996.3.26)



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