去るにあたって 感ずるままに

 安田 信正(やすだ のぶまさ) 医学部附属病院

〈部局歴〉
昭和33年4月 (民間)
  55年4月 医学部附属病院
平成3年6月 医学部
  7年11月 医学部附属病院
 
   
 


 私の自分史の一部を振り返って見ますと、最初に医用電子工学なるものを齧り、その最終端でたどり着いたのがコンピュータでした。それもハード屋で始まった、この医学の世界もコンピュータのソフトだけしか触れないジレンマに右往左往しながら過ごした広大附属病院での十九年でした。
 昭和四十三年に最初に肺機能検査データ処理プログラムを書いて約三十年、この世界の急激な発展には目を見張るものがあります。
 臨床検査との関わり合いが一番深い研究でしたが検査部の方々が異分子のような私を、仲間として受け入れていただき、最後まで見守っていただけた事に、心からお礼を申し上げたいと思います。
 最後の仕事となった医療情報部の三年間は、教官が業務的に技官役/事務官役/教官役と一人三役をこなす必要があり、貴重な体験をさせていただきました。
 それはそれとして、公務員としての勤務と民間での勤務が同じくらいの期間でありそれなりの感じたままを比較させていただきますと、まず勤務する業務環境での職種による壁の厚さ。また、生活環境での空調、設定された日時が来るまでは、暑かろうが寒かろうが、状況に応じた臨機応変の対応ができない(近年は改善されつつあるような感じはしますが)。備品、事務用品等、末端での管理体制不足(無駄が多い)。職員教育の片寄り。事務官の定着ができない(会得した専門的知識の分散)。退職者は語るに相応しくない暴言、苦言かも知れませんが、感じたままを述べさせていただきました。
 最後になりましたが、期待されたことと成し遂げたことの落差に恥じ入り、ご迷惑をおかけした諸先生方にお礼と、お詫びを申し上げたいとおもいます。

山口、秋穂荘で(H10.5.30)



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