雑感
安松 学
(やすまつ まなぶ) 歯学部事務部
〈部局歴〉
昭和33・5 (民間)
38・3 (高松工業高等専門学校)
57・4 (香川医科大学)
平成2・4 (舞鶴工業高等専門学校)
4・4 (徳島大学)
6・4 (浜松医科大学)
8・7 歯学部
歳月の経つのは早いもので、私も還暦を迎える年齢となりました。しかし、還暦とは十干十二支の最小公倍数として六十年目に干支が一廻りして元に戻ることであって、歴史は戻ることはないのである。
私がこの世に生を受けたのは、昭和十四年であり、太平洋戦争勃発の直前であった。世の中は、お国のため、兵隊さんのためと質素倹約が叫ばれ、現在の飽食の時代と比べると隔世の感がある。家庭が貧しかった所為もあるが、洋服、学用品、教科書に至るまで兄貴のお古で我慢させられた日々であった。自分はお下がりばかりなのに、兄貴は全部新品でつくづく次男に生まれたことを情けなく思ったものである。
小学校(当時は国民学校と言っていた)一年生の頃、こんな逸話があった。当時から学校には子供銀行というのがあって、毎月定例日にはみんな貯金をしていた。そんなある日、親から金を貰ってくるのを忘れ、兄貴の所へ借りに行ったが兄貴も貰ってきておらず、ポケットに入っていた一円玉を二人で分けて五十銭ずつ貯金をした記憶がある。当時は五十銭あれば飴も買えたし、子供の小遣いは月額十円程度であったと思う。今でこそ「銭」の単位は為替相場にしかでてこないが、その頃は円未満の金が通用していたのであるが、それにしても多少恥ずかしい思いをしたのも事実である。
広島大学には、二年九か月と比較的短い期間ではありましたが、大変お世話になりました。歯学部の例の事件の渦中に飛び込んで来ましたが、皆様のご支援とご協力を得て今日を迎えることができましたことを厚く御礼申しあげます。
広島大学の益々のご発展と皆様方のご健勝を祈念申し上げます。
広大フォーラム30期6号
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