退官にあたって 
─皆様ありがとうございました

 福田 登美子(ふくだ とみこ) 歯学部附属病院放射線科

〈部局歴〉
  昭和41・2 (大阪市)
    42・5 (大阪大学)
  平成7・4 歯学部附属病院
 
   
 


 私にとって「広島」は、特別の重みをもった土地でした。学童期に体験した戦火が「広島」や「長崎」に連なって、爾来何十年も、「広島」は容易に入っていけない地との思いが心の底に織りなしていました。子供ごころに広島の怒りを感じていたからです。
 四年前広島大学へ転任し、広島大学の理念の第一条が「平和を希求する精神」と知り、また平和祈念式典への参加や日々の生活の中で広島を知るにつけ、広島を近くに感じるようになりました。この四年間、広島大学の方々や広島の自然の恩恵を満喫しつつ、ここに人生の一つの通過点を無事に過ぎることができますことは大変喜びであり、同時に安堵感を抱いています。
 過去三十年余り、言語障害治療学を見つめて、気が付けば今日であったという幸せな道のりでした。当時の日本では、この分野は独自の土俵を持たない小さな世界でした。だから勉強しなければならないことや明らかにしていかなければならないことが山積しており、無限に忙しくもあり、面白くもあった日々でした。
 人間が人間であるための言語機能に興味を持ち、さらに、その言語機能を失ったり障害された人々が、コミュニケーションの不自由さを克服される過程を共に考えていこうとしたことは、私としては上出来の選択だったと思っています。この仕事から私は人生へのエネルギーをもらうことができました。また、大学という研究の場に身を置くことで、仕事に対して刺激を受け続けました。実際には周囲の多くの方々のお力を借りて私は思う存分仕事をさせてもらったのであり、これらの方々との出会いによって今の私が存在することを、今回の通過点で強く感じています。
 これからも次の通過点を目指して、歩みをすすめたいと思っています。

医局旅行の思い出、平成10年10月10日(筆者左から2人目)



広大フォーラム30期6号 目次に戻る