学部とともに四十二年

 高原 丞二(たかはら じょうじ) 工学部第二類計数管理工学講座

〈部局歴〉
  昭和32・9 工学部
 
   
 


 赤煉瓦の門をくぐると、正面に木造二階建ての校舎が目に入った。中庭に面したこの建物は、一階が工学部の全事務部で、二階がわが「工業経営学科」である。構内には附属図書館の書庫があった。それは、戦前のものと思われる赤煉瓦で造られた唯一の耐火構造であったが、原爆で大きな亀裂が壁に刻まれていた。研究室、実験室、教室、学校工場すべてが木造のしかも大半が平屋建てあった。私が着任した昭和三十五年頃の千田町三丁目にあった工学部の様子である。
 当時、学科の教育科目の重点は経営学に置かれ、教育・研究は全て印刷物が中心であり、設備といえばタイガーの手回し計算機が二、三台あったくらいで工学部では異端の存在であった。
 以後、昭和三十八年リレー計算機(カシオ)、三十九年電動計算機(モンロー)、四十四年フォン・ノイマン形の小型電子計算機HITAC-10(日立)コア・メモリー八キロワードでこれが手にした最初の電子計算機である。
 その後、順次OKITAC-50、OKITAC-50/40、HITAC E-600を設置して、総合情報処理センターとオンラインで結び、計算機部門を担当して教育・研究に寄与できたことを昨日のことのように思う。
 今は、学部四年生・大学院生の数を上回るパソコン・ワークステーション・サーバを保有しており、科学技術の進歩に驚くばかりである。

イタリアで開かれた国際会議で中村信人教授ご夫妻と、ベネチアで(筆者左)



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