一九九六年度ノーベル化学賞受賞者ハロルド・クロトー教授講演会

 サッカーボール型分子フラーレンC60の発見 

文・ 小 島 聡 志(Kojima, Satoshi)
理学研究科分子反応化学講座助教授

 去る五月十九日、フラーレンC60(図c)の発見の功績により一九九六年度ノーベル化学賞を受賞された英国サセックス大学のハロルド・クロトー教授をお迎えして、理学研究科(化学専攻)及び広島大学国際交流委員会などの主催で国際学術講演会が行われた。本専攻大野啓一教授が博士研究員としてかつて滞在したのがクロトー先生の研究室であった縁もあって、ご多忙の中来ていただいた。講演は、理学研究科の大講義室を使って行われたが、通路を埋め尽くす立ち見が出るほどの大盛況であった。ご自身サセックス大学で研究の経験をお持ちの牟田副学長による歓迎の挨拶と松浦理学部長によるクロトー教授のご紹介に引き続き講演が行われた。講演では、炭素原子六十個からなる球状物質フラーレンC60の発見に至った経緯から、今日注目されているフラーレンの仲間のカーボンナノチューブにまで言及された。さらに、科学全般のイメージアップのために始められた教育番組制作や世界中で催している子供向けの科学ワークショップについてもご紹介され、例としてレーザーポインターを用いた回折現象の説明をご披露された。そして、実用性が高いと期待されている長いカーボンナノチューブの合成法の確立に聴衆の若い力で挑戦してほしいと話を結ばれた。

図:規則性単体炭素の三体(a)ダイヤモンド (b)黒鉛 (c)フラーレンC60
図では32個の炭素が見えているが、上下合わせて4つの黒丸の炭素を除いた残りは二 つ重なっている。

 さて、そのC60やカーボン(炭素)ナノチューブとは、どのようなものであろうか。炭素という元素は、基本的に四つの手を持つが、元素として炭素のみからなる物質として古くから知られているものとして無定形炭素と、規則的構造をもつダイヤモンドと黒鉛(グラファイト)がある。ダイアモンド(図a)では、どの炭素も四つの手を空間的に等方に出して他の四つの炭素と結合を作り、その頂点となる四つの炭素(黒丸)で正四面体(点線)をとるような三次元構造をしており、その結合の三次元性のために剛直な物質になっている。一方、黒鉛(図b)では、炭素六つからなるベンゼン環(黒丸)を基本骨格として二次元的平面として広がっており、これらの平面間の弱い相互作用により三次元性を持つようになっている。黒鉛のどの炭素も他の三つの炭素に向かって平面内で等方に手をだして結合を形成し、その三つの炭素で正三角形(点線)をなしている。残った手でπ結合という分散性の強い結合を形成し、六角形としての平面性が保たれるようになっている。その黒鉛の正六角形のかわりに正五角形を置いて、正六角形をその周りにつけていくと、頂点での内角の和が三六〇度でなくなるのでもはや平面をとれなくなる。さらに、それぞれの正六角形の辺に交互に正五角形と正六角形を置くようにして、正五角形合計十二個、正六角形合計二十個になるように組み立てていくと、新規物質である球状のサッカーボール型分子フラーレンC60(図c)ができ上がる。オーソドックスなサッカーボールでいえば、黒い皮のところが正五角形、白い皮のところが正六角形にあたる。
 正五角形と正六角形のみからなる閉殻構造を得るには、正五角形がちょうど十二個あればよいことは数学的に証明されている。すなわち、その正五角形の数を保ったまま正六角形を増やしても閉殻構造を保つことができることになる。炭素のみからできる物質を考えた場合、そのように正六角形をたくさん増やしていくと両端が丸まった細長いチューブ状の物質ができる。(写真1)このような一群の物質の最初の例は、写真のものと比べてもっと短かいものであったが、実は日本のNECの飯島澄男博士によって一九九一年に発見され、カーボンナノチューブと命名されている。

写真1 クロトー教授がカーボンナノチューブの模型を手にされている
 
 クロトー教授はC60の発見当時、星間物質(宇宙空間のほぼ真空状態において存在する物質)の研究をされており地球上では知られていなかった炭素鎖を骨格とする三重結合と単結合が交互に並ぶ直線分子などを実験的に合成して同定することに成功されている。その研究の一環として、それらの物質の宇宙での形成過程を探るべく、米国ライス大学スモーリー教授の持つレーザー蒸発クラスター分子線装置で、黒鉛をばらばらの炭素原子に一旦分解し、それらの原子が再び集まった時にどのようなものができるのかを調べることにした。この実験に乗り気でなかったスモーリー教授を説得して実験にこぎつけるのに一年半かかったそうである。その実験を行ってみると、偶然にも、炭素原子六十個の組成を持つ化合物に由来する線が他の数の炭素の組成のものに比べて大きい強度でもって質量分析計で観測され、フラーレンC60の発見とあいなった。その化合物の安定性から、その 構造を非常に対称性の高いサッカーボール型の球状構造であると提唱した。そして、グラフィックアートを趣味とされているクロトー教授の案で米国の建築家のR・バックミンスター・フラー氏が作られたドーム型建造物にちなんでバックミンスター・フラーレンと命名された。(写真2)

写真2 カナダモントリオール万国博覧会の際にフラー氏によって建てられたドーム型建造物
 
 提案した構造を証明すべくC60の大量合成法を模索している内に、黒鉛電極に通電することによって生成するすすの中に数%含まれることを見いだした。しかし、合成法の論文発表に関してはタッチの差でドイツのグループに先を越されてしまったようである。そのすすをベンゼンにさらすことによって、ベンゼンに可溶な炭素単体としてC60と同族体のC70を容易に取り出すことが出来ることを見いだした。そして、C60における炭素はすべて同じ環境(二つの正六角形と一つの正五角形の頂点)にあるので、炭素の種類に応じて線の数が出る質量数十三の炭素核磁気共鳴スペクトル上で、対称性の高さを示す一本線のみが見られると予想されたが、観測結果はその通りとなった。一般の研究者の手の届くものになったC60の科学は、これを契機に飛躍的にのびることになる。
 長い歴史を持つダイヤモンドや黒鉛に比べて、フラーレンは、存在が明らかになってたかだか十五年しか経っていないので、余り身近に感じられないかも知れない。しかし、我々がマッチを擦ったときに、実は、発生させているのである。炎の黄色の部分に存在しているのだが、そこが高温でかつ酸素が周りにあるために、形成してもすぐに燃えてしまうのである。
 二十一世紀の新素材としてC60やカーボンナノチューブを初めとする規則性炭素クラスターの今後の実用面への応用が大いに期待される。

 講演者の横顔

Professor Sir Harold Kroto
○1939年 ドイツ人の両親のもとに英国のケンブリッシャーで生まれる
○1961年 シェフィールド大学で学士号を取得
○1986年 同大学R. N. ディクソン教授のもとで、「フラッシュ光分解によって生成する自由ラジカルの高分解能電子スペクトルの研究」によりPh. Dを取得
○1964−67 カナダのオタワの国立研究機構および米国のベル研究所において博士研究員
○1967年 サセックス大学にて研究教育(今日に至る)
○1985年 米国ライス大学のR. E. スモーリー教授とR. F. カール教授とともにC60を発見
○1996年 三人でノーベル化学賞を受賞、イギリス王室よりナイトの称号





 
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