異文化を学ぶ 長期化する老齢期をいかに健やかで、意義あるものにしていくのかということが、日本人にとっても、アメリカ人にとっても共通の課題です。特に、「自立・独立」という事を最重要価値とし、「老いる」事を否定的に見なしてきたアメリカ人高齢者は、老後の日常生活をどのように意味づけ、意義あるものにしていくのでしょうか? 本書は、文化人類学の立場から、アメリカ人高齢者の生きがいとディレンマの源泉となっているアメリカ文化体系を明らかにすることを目的としています。筆者は、カリフォルニア州とウィスコンシン州の小都市と、東京の近郊で、通産六年間に渡るフィールドワークを行いました。本書は、その中で、高齢者センターに通う中産階級のヨーロッパ系アメリカ人高齢者の老後観についてまとめたものです。研究の手法としては、高齢者がライフヒストリーや日常の活動を語るときに頻繁に使う「ワーク」「ミドルクラス」「マリッジ」「ホーム」「ヘルピング」といった五つのキーシンボルの意味を、地域社会の様々な脈絡の中で分析しました。すると、ボランティア活動に従事することを、退職以前の仕事と同様に位置付け、目的意識、責任感を持って、規律正しい日常生活の基盤としていく生き方や、自らの意志で「一人暮らし」を選択しながらも、子どもたちと頻繁に訪問しあったり、社会活動に参加して、自立しながらも孤立しないといった生き方など、老齢期を自らの努力で意義あるものにしていこうとするアメリカ人高齢者の積極的な姿勢が浮かび上がってきます。 異文化から考える 本書に出てくるのは、老齢期に直面する身近な問題ですが、対応の仕方や、こだわりの持ち方には、文化の違いが見られます。「答え」の出し方の多様性を知ることによって、読者が「常識」は一つではないことに気づき、自らの体験を見つめ直し、自己と他者について考えるための起爆剤になってくれればと願っています
生命工学と生命科学は別物である 勇ましく言えば、本書は生命工学の生命科学からの独立宣言の書である。長い間、工学者たちは生命科学の重要性に気づかなかった。わが国の生命工学系学科の多くには、未だにその後遺症が残っている。中には看板倒れで、生命科学のまともな論文を書いたこともない教官が、堂々と教壇に立っているところすらある。しかしその一方で、生命科学に傾倒し過ぎて、工学が教えられないという弊害も生じている。そもそも工学とは、新しいものを創り出さなければ意味がない。生命工学を標榜する限り、生命体を理解したり育てるだけでは、とても心もとない。 生命科学の優れた教科書はたくさんある。しかし、生命工学の立場から生命体の見方について解説した本となると、至って少ない。定番の生命科学の教科書だけでは、生命体の構造や仕組みは教えられても、そこから新しいもの創りを発想できるエンジニアを育てることは難しい。一般に分子生物学や生化学の教科書は、積み木細工よろしく要素からボトムアップに、生命体を説明することに終始している。どこまで読み進んでみても、生命体の全体像は把握できない。 生命体のソフトウェアを提唱 本書が描く生命体像は、生命科学の教科書が描くそのイメージとは大きく異なっている。第一章では、生命体が一般的な工学システムと似ており、生命体もまたハードウェアとソフトウェアの両面から理解すべきであると説く。生命体のソフトウェアとは、本書が初めて提唱した概念であり、そのまま本書の表題ともなっている。第二章では、バーチャル細菌と呼ぶコンピューターモデルを使って、生命体のソフトウェアを解読する方法を紹介している。そして第三章では、生命工学が究極の目的とする人工生命体とは何であるかを解説している。本書が提唱する生命体のソフトウェアという概念は、これから生命工学を生命科学から独り立ちさせる上で、重要なキーワードとなることだろう。
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